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サイレンをよく耳にするメッセージ、どう受け止めたら良いですか?

少し前に、鹿の情報ばかりが入ってくると記事を書いた。
こちら。

あの記事を書いてから私に入ってくる鹿情報が止まった。さすが「書きなさい」と言われただけある。

書いて、書き終えて、私のすべきことが理解できたからだと思っている。だから止まったのだと思っている。私に求められている発信スタイルがどういったものなのかが分かったのだ。

こうやって必要なメッセージを見せてくれて本当にありがたい。


鹿が止まったと喜んでいたのも束の間、「はい、お次ね!」といった感じでまた頻発現象が出てきた。


次は、救急車両のサイレンだ。


私の住居は比較的交通量のある道路に面しているため、救急車両が通ることも当然ある。救急車、消防車、パトカー。通るとサイレンが耳に入ってくる。

鹿情報がストップしたと同時に、このサイレンがやたら増えたことに気づいた。

え?こんなに多かったっけ?


暑くて出歩くことが減り在宅時間が増えたのもあるだろうが、出かけたら出かけたで、見事に出先でも出くわす救急車両。


これは…、なにかあるな。

最初は、「何のサインだろう…?」と呑気に考えていた。クイズに答える感覚で意味探し。

一般的なイメージとしては、救急車両のサイレンを頻繁に聞くというと、何かの警告のメッセージなのかと思うが、そんな感じはしない。

健康面でもどこも不調は無いし、検診も受けてまだ半年も経っていない。
まあ、検診に関しては身体のすべての疾患が発見できるわけでもなく、見つかる疾患なんて本当に限られていて安心材料にはならないんだけれども。それでも、どこも不調も気になるところもないわけだから、検査もしようがない。なすべきことがないためこれは保留。


それじゃあ一体なに?
何かを急げと言われているんだろうか?

たしかに今はまだのんびり暮らしているし、何か貢献に注力しているわけでもない。バリバリ行動を起こしてるわけではない。

いいかげん行動するように言われているんだろうか?

いやいや、でもそれじゃあ、「焦るな」「焦って行動しない」「行動していないことに焦らない」と上から降ってくる言葉と矛盾する。



まだどうしてもゴチャゴチャ思考を回して意味を探ってしまう。こういうのって、たぶん直感で感じ取るのが正解なんだろうなぁ。


そうなると、「悪いものではない」という感覚だけはある。警告じみたり煽ってくるようなメッセージの感覚はない。

ないのに、ないのにである…。
徐々に救急車両のサイレンというイメージに引っ張られていった。


毎日、毎日、日に十数回以上サイレンの音をキャッチし、それが1週間近く続いた時、最初は「なんだろう?ハテ?」くらいの感じだった受け止め方が、「え…。マジで悪いサインじゃないよね…?」と心配に変わってきた。サイレンが聞こえる度に胸がザワザワするようになってきたのだ。
悪いサインではないと自分でちゃんと感じていたにもかかわらず。


こうやって自ら良くない妄想を広げていってしまうのだな。
現実には何も起こっていないし、そんな前兆さえないのに。


そして昨夜、真夜中の2時に数台の消防車のけたたましいサイレンで目が覚めた。
夜中の静まり返った道路をものすごいスピードで走る音、頭にサイレンと鐘が響く。一台去って、また一台。そしてまた一台…。比較的近所と思われるところで音が消えた。

窓から様子を伺うことはせずとも、ある程度の規模の火事だろうということは想像がついた。ベッドの中で、私は、次々と耳に飛び込んでくるサイレン音に発狂しかけた。

なんなの?!なんでこんなに私の心をかき乱すの?!何が目的?!

両耳を塞いでベッドの中で丸まっていた。



その時、ふと思い出した出来事。


2、3年前の朝、起床して部屋のカーテンを開けた途端に目に飛び込んできたのは、立ち昇る真っ黒な煙。目の前の住宅地からだった。火事だと分かったが炎は見えないし消防車も来ていない。気になって外に出て見に行った。

黒煙の元に辿り着いた時、目の前に見えた光景は現実のものか疑いたくなるものだった。
民家が炎に包まれとんでもない勢いで燃えていた。消防車両もまだ到着していない発生直後だった。


「危ない!!プロパンに引火するぞ!!離れろ!!」
「〇〇さんのお宅だ!!○○さんは?無事なのか?!」

ご近所だと思われる人達の叫び声が聞こえる。


ゴォーゴォーと地響きがするくらいの音を立て、天を突き抜ける勢いの炎。まるで激しく暴れまくる生き物のようだった。
メキメキ、ピシピシ、と鳴きながら燃えていく民家。
真っ黒な龍のように勢いよく昇っていく煙。

その凄まじいエネルギーに圧倒されて、その場で脚が動かなくなってしまった。
そんな私の目の前を、到着した消防隊員が全速力で悪魔と化した炎の先へ飛び込んでいった。大きな声を張り上げながら。


その後ろ姿は今でも忘れない。
なんの躊躇もなく、あの荒れ狂う炎に向かって自分の出せる力すべてを込めて飛び込んでいったのだ。


これが彼らの仕事なのか?
これを仕事と片づけていいのか?

これが彼らの使命なのか?
使命でできるものなのか?


映画やドラマの中でカッコよく人命救助しているのとは訳が違う。
カッコイイとか、そんな薄っぺらい言葉で収められない。

目の前で見せつけられたその姿に、これから出勤しようとしていた私は、自分の仕事と比較するのもおこがましいくらいの衝撃を受けた。自分の仕事に対する熱量や覚悟なんて、どれだけちっぽけなのかと思い知った。

そんな出来事を思い出した。


私は救急車両のサイレンを聞くたびに、不吉なものではないかと心配を膨らませていた。
被害を受ける側の視点でしか捉えていなかったのだ。

救急車両には救う側の人間もいる。
私は救う側に意識を向けていなかったんだと、この出来事を思い出して気づいた。

救う側になれと言われているんだろうか?
それは、まだ私の中でもはっきりしていない。

ただ、この気づきを得たおかげで、サイレンを聞いても胸がザワつかなくなった。人命救助にあたる救急隊員への敬意と、被害が最小限であるようにとの祈りに変わった。


昨夜の出来事で、なんだか視点や行動の転換を促されているような気がしてきた。

ふと頭に湧いたことが、どんどん繋がって気づきを得る。
これだから、日常の中に散りばめられた助言をキャッチするのは興味深い。



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