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「感謝」が胡散臭く聞こえる理由と、「感謝」で幸せを感じる理由

rinです
いつも私のnoteにお越しくださりありがとうございます。

突然ですが「感謝」という言葉が胡散臭く聞こえてしまうという人も多いのではないでしょうか?

自己啓発本には「幸せに生きるためには感謝が大事」ということが書かれていますが、感謝自体に形はありませんし漠然としていて、なんだか雲を掴むような気持ちになりますよね。

そこで今回は感謝についてrinなりの解釈をお話していきたいと思います。

  • 感謝の言葉が胡散臭く感じる理由

  • 私なりの感謝ってなんだろう?

という疑問に対する私なりの気持ちを書いていきます。

今回はハウツー本や自己啓発本を参考にしても説得力がなさそうなので、人気エッセイの『フィンランドは今日も平常運転』を参考に説明していきます。


rin流「感謝」の解釈

感謝が胡散臭く聞こえるのはブラック企業の問題があったことが大きな原因のひとつ。

とある飲食系の大手企業の劣悪な労働環境が問題となり、しかもその企業は「ありがとう」を経営理念としていました。その矛盾が当時大きな話題となり、いわゆるブラック企業の問題によって世間的に感謝という言葉が、お金持ちが労働者を搾取するための言葉というイメージがついてしまったかのように思います。

しかし運営理念に感謝を掲げる優良な企業や団体も多く、感謝という言葉には人をまとめる力があるのも事実のように感じます。

rinにとって「感謝」は自分自身が軽やかに生きるためのものなので、企業の言う感謝とはちょっと意味合いが違うかもしれません。

私にとっての「感謝」は「今ある環境を受け入れること」です。

実際にどんなことなのか具体的なエピソードを今回のおすすめ書籍『フィンランドは今日も平常運転』の中から紹介していきます。


耳の聞こえない静かな老人

著者の家庭がめでたく第二子を迎えた頃、隣にはあまり耳が聞こえないおじいさんが住んでいました。

住んでいた家の壁が薄かったそうで、時たま隣の生活音が聞こえるものの、たまに椅子を引く音がするくらいで、おじいさんは静かに生活を送っていたようです。

一方の著者の家は、赤ちゃんも生まれたばかりで相当な騒音だったそうです。

ある時、隣のおじいさんと顔を合わせる機会があった時、その騒音について謝るとおじいさんはこう返したそうです。

「いや、全く気にならないよ。子供が音を立てるのは普通のことだ。どうせよく聞こえないしね」

『フィンランドは今日も平常運転』大和書房

この後、著者は知ることになるのですがおじいさんは足が少し不自由なだけで、実はしっかりと耳が聞こえていたそうです。

ただ、子どもに寛大な人だったのです。

著者はしばらくおじいさんと、別居するおじいさんの家族と交流を続けますが、やがておじいさんは自治体の介護施設に入居することになります。

フィンランドでは老後は介護施設に入ることが一般的なようで、おじいさんや周囲の人たちもやることをやった上での選択だと満足していたようです。

穏やかに生き、今の環境を受け入れて生きる姿に著者は将来の理想の生き方として、自分を写したそうです。

ないげない生活に感謝と幸せがある

どの家族にも起こる老後や家族との別居。

このおじいさんと家族のようにありのままの環境を受け入れながら、隣人とも関係を築けると言うことはいかに幸せなのかと私は思います。

感謝の中にある毎日の穏やかな営みを受け入れることの大切さを教えてくれる、素敵なエピソードでした。

このお話以外にも本の中には、さまざまなフィンランドの人たちの生活が描かれています。

気になる人はぜひ一度手にとってみてくださいね。


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