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「"生きているだけで価値がある"ということの計算機科学的証明」 森田真生『計算する生命』

前作『数学する身体』が、数学という学問にひそんだ身体の声を聴き取っていくような一冊だったとすれば、今作『計算する生命』は、計算という概念にいかに生命が吹き込まれてきたかをめぐる一冊である。ここからわかるのは「計算」という概念が所与の概念ではなく、いかに歴史によって形成されてきた概念であるかということ。第一章から第三章を使って、僕らはユークリッドからデカルト、リーマン、フレーゲ、チューリングらがどのようにそれを成し遂げてきたのか、どのように苦闘してきたのかを追体験する。こんなにも面白く納得できる数学史は類を見ないのではないか、というほどここのくだりはワクワクする上に勉強になる。


その万全の準備を踏まえた上で第四章では「計算」と「生命」の複雑な絡み合いに迫っていく。特にルンバを開発したロドニー・ブルックスが、自律的なロボットを作るためには、三次元世界のシュミレーションを完璧に行うことよりも、

1.外的世界からその都度情報を吸い上げる層
2.ただふらふら放浪する層
3.目的を実行するために指示を出す層

の最低限の三層構造を用意した上で世界に飛び込んでしまうことが必要という見解を導き出すあたりは素晴らしかった。これは世界を「再現する」ことよりも世界に「参加する」ことが、自律的な生命の本質なのだという洞察と深く関わり合っていた。

「あらかじめ固定された問題を解決するだけでなく、環境に埋め込まれた身体を用いて、変動し続ける状況に対応しながら、柔軟に、しなやかに、予測不可能な世界に在り続けること。それこそが、人間、そしてあらゆる生物にとって、もっとも切実な仕事だという洞察がここに芽生える。数学の問題を解くことより、チェスで人を打ち負かすより、猫の画像を認識することより大切な生物の任務は、何よりもその場にいることなのである」

森田真生『計算する生命』 p.176


機械に迫ることで生命の本質を炙り出すという試みの、これはもしかしたら最も感動的な成功例の一つかもしれない。また、この本の刊行後に森田さんと”師匠"鈴木健さんが対談した模様も記事になっている。サイバネティクスの指摘や生命が本質的に行っている計算のこと、さらには豊かな生態系のための鍵、コンピュータとの共存などなど、ここでもまたもや、鈴木健おそるべし、という展開だった。

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