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「学び続けなければいけない時代に学ぶことを学ぶ」 落合陽一『0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書』

本書はタイトルにもあるように「人生100年時代における学び」について扱った本である。3部構成になっていて、第一章ではまず「なぜ学び続けなくてはならないのか?」という問いに幼児教育から生涯学習まで13のQ&Aを設けて多面的に考えていく。「特定の勉強の内容そのものよりも、勉強し続けることを止めないことの方が重要」「人間の能力の差の大部分は、経験によってもたらされる」「ロジックでは解決できない佇まいで判断する能力を研ぎ澄ませて」など、教育というよりも自分の学びについて改めて確認しておきたいことや示唆的な言葉がたくさんあったが、特に面白かったのはQ12「人生100年時代を生き残るには何をしたらいい?」のセクションだった。この問いへの答えは「趣味を複数持ち、モチベーションを高く持ち続けること」というものなのだが、途中で**「やりたいことがある」ということ自体がすでに一つの価値であって、これはケインズの言う「アニマル・スピリット」みたいなものなのだ**という話がされている。「アニマル・スピリット」というのは日本語では「野心」と訳されるそうだが、落合的には「動物的直感」や「天啓」といった意味に近く、そういう衝動的なものを持っている人の一見非合理的な行動がしばしばイノベーションの源泉になるということだった。この「アニマル・スピリット」に基づく行動は、なんといってもストレスが少なく自然体で熱中することができる。自分もこの「アニマル・スピリット」ドリブンに人生を設計していこうと思った。


第二章は「落合陽一の生成過程」だ。現代の魔術師はどんな子供でどんな育ち方、育てられ方をしたのか、さらには父として今何を考えているのかが開陳される。特に面白かったのは後半の大学教授としてのパートの「研究はゲームではないけれど、論文を通すテクニックそれ自体はゲームだ」という話だった。落合曰く研究とアートは似ているという。まず研究もアートもルールがない。決められた手法も結論も評価関数もない中で自分で問いを打ち立て、解を探して考え抜くのが研究でありアートも同じだ。それはまさに「アニマル・スピリット」に基づく無償の行為みたいなものなのだが、それをいざ学界に出したりマーケットに出したりすると、一定のルールやプレイスタイルやノウハウが出てきて、ズルをしたら負けになる。この区分は非常に面白いなと思った。自分も「アニマル・スピリット」に基づく研究やアートな部分は無償の行為として「とりあえず追究する」というスタンスでいって、あとはゲームとして商品化なりなんなりしていこうと考えた。あと、MITの石井教授(タンジブル・ビットの創案者)が、会うと落合研の学生に「君のレゾンテートル(存在意義)はなに?140字以内で答えて」と聞いてくるらしく、すごいなと思った。また、父として語るパートで「子育てで大事にしていることは佇まい」と言っているのが深かった。結局フィジカルに伝わる最大解像度のものってたぶん「佇まい」で、非常に身体的な家庭内教育の場においてこれをしっかり考えているのはすごいな思わされた。


第三章は「STEAM教育」についてで、日本のSTEAM教育に不足している4つの要素を「言語(ロジック化など)」「物理(物の理という意味で)」「数学(統計的分析やプログラミング)」「アート(審美眼・文脈・ものづくり)」とし、それぞれに落合なりの家庭でもできる育て方をあげている。特に「アート」の部分で、落合なりの芸術鑑賞法が述べられているのが興味深かった。「"よい作品"と"そうでない作品"を分ける基準の一つは、その作品が作者の哲学やロジックに則って、自身の文脈の中でやり切って作られているかどうかだ」という指摘には、僕は全然そういうコンテクストをきちんと尊重して芸術を見るということができていなかったなと反省した。また、まずは自分の感じたことを率直に言語化してみること、さらには自分の中の文脈と照らし合わせてその視点から鑑賞していくこと、その作品がどういう作法で作られ、なぜ作家はその作品を作ったのか、作品と対話するように鑑賞することなど、アートの鑑賞作法について非常に勉強になった。これなら家庭でも、もちろん僕も次展覧会に行くときからでもすぐに実行できる。また、最後の方で筑波の学長が「博士とは売れるラーメン屋を明日から始めろと言われたら、すぐに始められる人です。」と言ったことが紹介されていた。これは「自分でゼロから問題を設定して、その解決策を見出し、実践できる人」ということのポップな表現だが、非常に的を得たいい表現だなと感じた。今後も学ぶこと自体を学び続けていきたい。

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