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3.11あの時…

専門学生2年、卒業式を控えていたあの日の帰り道の電車で起きた地震。

最寄駅の一つ手前の駅で、出発をしようと電車の扉が閉まろうとした時に、それは起こった。

突然の地震だ。

ウトウトしていた私は、すぐに目が覚めた。
ミシミシとなるホームの屋根や駅名の書かれた看板。
そして縦に揺れに揺れる車両。

頭が真っ白になった。
この揺れはなんなんだろう、そう思いながら大きな荷物を力強く抱えるしかなかった。


もちろん揺れがおさまっても、電車は動かない。
30分ほど扉の閉まらない車両に座ったまま時間が経った。

誰とも携帯電話で連絡は取れなかった。

やっと流れてきた車内放送では、ホームに出て改札まで登ってきてほしいとのこと。

車両の安全、またホーム屋根の安全を確かめられなかったのだろう。

ゾロゾロと階段を登り、改札外に車両に乗っていた人々か集まってきた。

不思議とわたしは落ち着いていた。
ちょうどその頃、バイクを運転できる友人と連絡が取れ近くにいることがわかった。

『迎えにいく、ただ信号が止まっていて時間がかかる』

その日のとこを聞いて、停電になっていることを知った。
そしてタイミングよく母と連絡がとれた。実家は運送会社なのだが、そこで父と母は安全であることがわかった。だが、やはり停電しており寒さで困っているようだった。暗くなってきたということもあり自家用車やトラックの中で暖をとり、ニュース映像をみていると伝えられた。悲惨な状況だ、と電話越しに言われたのを覚えている。


ふと、横を見るとまだ幼稚園児くらいの子がいた。地震の揺れは感じたのだろうが、ことの重大さはもちろん気づくはずもなかった。

「ねぇ、どうして帰れないの?」
悪気などないその言葉に、周りの人は一瞬その子を見た。そしてその後に、母親を見るのだ。
そして重い空気が流れる。

誰もが家に帰りたい気持ちと、不安とで自分自身の事で頭がいっぱいいっぱいなのだ。
私は周りの目を気にしながら、その幼稚園児に「シーっしようね」と困りながら話すお母さんを見て心が苦しくなった。
ふと、自分の持っているカバンにフルーツ味のキャンディーがある事を思い出した私は、その子に一粒のキャンディーをあげた。目をキラキラさせながら「ありがとう」と言ったその子は、嬉しそうにキャンディーを頬張った。

しばらくすると、陽が落ち寒さが増してきた。待っていてもすぐには動かないであろう電車を、数十名の人が待っていた。そんな時に私の携帯は鳴った。バイクでのお迎えが来たのだ。

街は暗く、もちろん信号も灯りがない。警察官が道を誘導していたが大渋滞だった。バイクは隙間を抜けていけるので比較的スムーズに道を進んでいった。そして私は父の会社に到着した。いまだに波のように揺れた地震の感覚は残っていた。

寒空の下、車の中でニュースを見た。
津波の映像とキャスターが代わる代わる映っていた。


あれからもう、12年経った。
キャンディーをあげたあの子はもう大学生くらいだろう。あの日のことをどんな風に覚えてるだろう。

記憶は風化していくが、地震が起こるたびに私はあの日を思い出す。これからも思い出すだろう。
毎年3月11日に黙祷をしても、心から気持ちが晴れることはない。行方不明者はまだいることや、あの日の事、あの惨事を忘れることはできないからだ。

だが、軽々しく毎年黙祷をするのも違うと思っている。心から気持ちを込めてあの日を思い出して、その上でご冥福をお祈りしたい。


ここ数年中に来ると言われている、南海トラフ地震や都市直下型地震。いつ起こるかわからないが、出来る限りの準備をするべきだと思う。

そして、そんな地震大国で生きている限り1日1日を大切にしたいと思った。




__RiN.T__

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