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代々木公園で感じた「自由」とは

ゴールデンウィークに一時帰国し、久しぶりに再会した友人と代々木公園へピクニックをしにいった。

5月の新緑が気持ちの良い季節。

周りにはたくさんのピクニックをしている人たちで賑わっていた。

空いている場所に腰を下ろし、お昼を食べていると
どこかからか物騒な声が聞こえてきた。

「~~~~~!!!」
「~~~~!?」
「~~~~~!!」

いわゆるデモであろうか。拡声器を使って音自体ここまで聞こえてくるものの、正直何を言っているのかは聞き取れなかったので、何を訴えているのかはわからずじまいだった。それは何かを訴えている人たちにとっては致命的なミスではないのか。

まあそんな疑問は置いといて。

比較的監視が厳しい国に留学している身として、ふと思ったのが、
「まあこうやって大々的にデモができるのもまた一つの『自由』だったりするんだよなあ」
と友達と話していた。私が普段いる国ではそもそもデモを始める前に強制終了だろうな。。。それは多分、その国にとっての「普通の」人から見たら安全ともいえるし、その国にとっての「普通でない」人から見たら表現の自由が奪われた姿ともいえる。

多分完璧な国などなくて、どこの国もそれぞれいろんな問題で、誰かがおいしい思いをして、誰かが苦しんで。でも別の角度から見たとき、それは時々逆だったりもする。日本も例外でなく、もっと良くできるし、逆に良いところもあり、良い人もいれば、根が腐ってしまわれた人もいるわけで。

私は大学で社会学を学ぶ身である。社会学を学んでから、実際の社会で起こる現象や、自分の身の回りで起こる理不尽な出来事に対して、多面的な見方ができるようになった気がする。
でも、それも完全ではなく、「留学している国視点」の社会学を学んでいたり、そもそも社会学はヨーロッパとかアメリカとかが主流としてできてきた学問だから前提から留学先の国や日本に当てはまらないものもあったり。思考は尽きません。

私が読書や文章を書くことが好きなのも、たぶんこの正しい、正しくないと簡単に割り切れない現実問題を、よりメモリを細かくしていろんな角度から見て自分なりに取り込んだり、表現したりする一種の私の中の循環運動であるのかな。

そのあと代々木公園のさらに中の方に歩いていくと、どこかの民族が使うような太鼓?みたいな打楽器を楽しそうに演奏する集団がいたり、(友人は気持ちよすぎてその向かいのベンチで昼寝してた笑)、カメとウサギとわんちゃんたちの異種類交流をしていたり(カメくんは元気すぎて以外と歩くの早かった、半分脱走笑)、外国の方も想像以上にたくさんいて、フリスビーをしている外国人に混ざって小さい日本人らしい女の子がみんなと同じオレンジのユニフォーム?(ぶかぶか)を着てわいわいやっていた。

打楽器集団とか、皆さんの阿吽の呼吸を感じて、毎週こういう活動に参加したらすごい楽しそうなライフ過ごせそう!ってとても思ったし、
なんか最近多様性という言葉がとても一般的になったけど、「あ!そっか!動物も異文化交流になるや!笑」と新鮮な気持ちになったし、フリスビー集団もハイテンションでめっちゃ混ざりたかった!

こういうのも「自由」やなあ~と感じたのでした。




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