[小説]やさしい吸血鬼の作り方2

「吸血鬼、ですか?」
「そうそう、最近この辺りで出てるらしくてねぇ、カヅキくんも気をつけないとダメよぉ」

 目の前に差し出された注意書きの用紙を受け取って、こてん、とカヅキは首を傾げた。
 年齢は13〜14歳くらいだろうか。黒い癖毛に勝気な黒い瞳、そばかすの浮いた顔は寝起きなこともあって幼い。
 今は早朝である。いつもなら誰も訊ねてこないような時間にノックの音に起こされて、開いた扉の先で彼はその訪問者と会話を交わしていた。寝癖の付いた黒髪をなでつけながら、まだ日の上がりきらない空気の中で、家に灯した蝋燭の火を頼りにその用紙をしげしげと見つめるとそこには吸血鬼の出没がここ数週間で増加しており、近隣の町や村でその被害者が軽傷者から死傷者まで合わせて9名に及ぶことが書かれていた。

「屍食鬼じゃなくて?」

 カヅキはその黒い瞳を疑うように細める。
 屍食鬼と吸血鬼はどちらも人型をしていることからよく混同されることがあった。屍食鬼は文字通り肉を食らう化け物で、吸血鬼は血を吸う化け物だ。
 カヅキの疑問に森を抜けた先にあるレンリ村の村長の娘は「そうなのよお」と顔を曇らせた。
 娘とはいえもう50を超えた女性で、子どももとっくに成人している。おしゃべり好きの彼女がそのような浮かない表情を浮かべるのをカヅキはここに住み始めてから初めて見た。

「当然そう思うじゃない? でもどうやら本当に吸血鬼らしいのよ。吸血鬼なんて伝説の生き物見たことある人のほうが貴重でしょお? ましてやこんな小さな村じゃあ、退治士なんてみんな名ばかりの猟師達だし……、屍食鬼しか退治したことないって困ってるのよぉ」
 まぁ珍しいだけで屍食鬼と大して変わらないとかも言われてるけど、と彼女はぼやく。
「でもよくあるお話だと貴族に化けてるだとか、とっても強くて知恵が回るだとかいうじゃない? まぁ幸いまだうちの村までは来てないみたいだし……、でも一応警戒しとけって父がうるさいものだから。……特にカヅキくんはねぇ」

 彼女は気遣わしげに周囲を見渡した。
 それだけで彼女が何を気にしているのかがわかって、カヅキはへらり、と笑って誤魔化す。
 見渡す限りの森林。光もあまり差し込まない森の奥深くにカヅキの家はぽつんと建っていた。一応申し訳程度の柵で覆われてはいるが、獣除けの役割すら果たしているのか疑わしいようなお粗末なものだ。
 再びカヅキを見た彼女の瞳はこんなところに一人っきりなんてねぇ、と言葉にせずとも明瞭に語っていた。

「いやー、意外に快適なもんですよ! ほら俺って菜食主義者だし?」
「亡くなったご両親の思い出がある家を離れるのは辛いだろうけど……、騒ぎが収まるまでだけでもうちの村にこない?」

 その心の底からの気づかいにカヅキは苦笑を返すしかない。
 小柄な身体の子どもは大人に遠慮するように、けれどしっかりとした拒絶を込めて、「すみません」と謝罪した。
 微笑んだ唇からはわずかに尖った八重歯がのぞく。普段はやんちゃな印象を与えるその容姿も、困ったような微笑みの中ではその効果は薄かった。

「……まぁ、何か困ったことがあったらいいなさいねぇ」
 寂しげに彼女は言うとゆっくりと背中を向けて村への道へと姿を消した。

「……困ったことねぇ」

 はぁ、と渡された注意書きを見下ろして、頭を掻く。

(どうすっかなぁ……)

 実は困ったことは現在進行形で起きていた。
 ちらり、と背後を横目で覗う。小さな家だ。備え付けのキッチンと小さな3人掛けのテーブルと椅子、そしてベッドを一つ置いてしまえば大して隙間も空かない。そこにさらに本棚を2つも設置しているのでスペースはかなり限られていた。
 その部屋の中、ベッドの上にいつもはないものの存在があった。
 それは図体のでかい男である。硬質そうな紅の長髪に白い肌。そしていかにも屈強そうな引き締まった身体をした長身の男。年の頃は30代くらいだろうか。うなされるようにその顔はすがめられ、おそらく生来のものであろう眉間の皺が深く刻まれている。
 そろそろと足音を忍ばせてカヅキはその人の近くへと近づいた。
 この男との出会いは昨夜のことである。カヅキはこの家の近くに流れる川へと日課の散歩へと出向き、そこでこの男が死体のようにうつむけで浮いているのを発見したのであった。思わず完全に土左衛門だと勘違いして悲鳴を上げて駆け寄ると、なんとその男は呼吸をしていた。しかしその身体は氷のように凍り付いており、何故だか頭部には僅かに雪が積もっていた。ここ数日カヅキの知る限りにおいてこの辺りで雪が降ったという事実はない。
――ということは、おそらく、

(あそこから、流れてきたんだよなぁ)

 ベッドの向こうの開いた窓へと目線を向ける。そこにはその高い標高から年中雪に覆われている雪山、トウキ山が見えていた。
 この森に流れる川はその山から流れてくる雪解け水である。ミネラルを含んでいて非常に美味しいと評判の水だ。実はその水を都会に売り飛ばすというやくざな商売をしている人間もいる程度には有名な名水だった。しかし重要なのはもちろんそんなことではない。
 重要なのは、いかに目に見える範囲にある山とはいえ、そんな高い山からこの寒い冬の季節に長々と冷水につかって流れてきた人間にいまだに息があるということだ。
 普通の人間なら、まず間違いなく水につかった時点で低体温症で死んでいる。
 カヅキは恐る恐る手を伸ばすと布団をわずかにめくり、男の指を確認した。驚くべきことにこの男、死ぬどころか凍傷にすらなっていなかったのである。
 先程渡された注意書きを見る。カヅキは口をへの字に曲げた。

「……吸血鬼」

 そう口にした瞬間だった。
 かっ、と音を立てそうな勢いで男の瞳が開く。カヅキの姿を認めると同時にその大きな手のひらがカヅキの頭部をわし掴んだ。

「……なっ」

 驚きの声を上げようにも間に合わない。男の刃物のように鋭い瞳が黄金色に輝いているのを確かにカヅキの目は捕らえていた。
 男が口を開く。その口内からは鋭い牙がのぞいた。カヅキの身体を布団の上へと身動きが取れないように抑えつけると男は躊躇なくその牙をカヅキのうなじへと突き立てた。

「い……っ、おい、ちょっと……っ!」

 声を上げてもがくが男の拘束は外れない。馬鹿のように強い力に骨がみしり、と音を立てた。わずかに水音がして力が抜ける。血をすすられているのだと気づいた時にはもう遅かった。身体がじんじんとしびれる。そのしびれは牙を立てられた傷口から波紋のように広がっているようだった。

(どうしてこうなった……っ)

 血をすすられながらカヅキは軽く絶望する。なんだか気分はもう貼り付けにされた虫である。いきなりのこと過ぎて頭が全く状況についていけていない。カヅキがやったことと言えば死にかけていた男をただ親切心から拾って帰って介抱しただけである。それの一体何が悪くてこのような自体に陥っているというのか。

(恩を仇で返されるにもほどがある)

 なんだか段々と腹が立ってきた。ちらり、と視界の隅に燭台の明かりが見える。それはベッドサイドテーブルの上に乗っていた。カヅキは手を伸ばす。テーブルに敷かれたクロスの端に指先がぎりぎり届く。カヅキはそのまま届いた指に力を込めるとクロスを自分に向けてひっぱった。燭台がひっくり返る。ベッドの上に火の粉が降りかかった。それに驚いたのか、男は手で火を振り払いながら一気に跳躍し、それが行き過ぎてベッドの脇にあった本棚へと激突すると体勢を崩して床にくずおれた。
 カヅキも慌ててベッドから逃げる。テーブルに置いてあった水差しを手に取るとそれ以上火が燃え広がらないようにとベッドに中身をぶちまけた。

(なんだ……?)

 カヅキは眉を顰める。男の方を慌てて振り向くと、何故か彼は驚愕している様子であった。
 驚きたいのはカヅキのほうだ。いきなり襲われて、血を吸われたのである。しかし彼は顔を真っ青に染めて、恐る恐る自分の口元へと手を当てた。そこで鋭く尖った牙へと触れるとまるで火傷でもしたかのように手を素早く引っ込める。

「俺は……、一体……」

 男が顔を上げる。そうしてカヅキの向こう側を見て、更に驚きと恐怖にその黄金色の瞳孔を収縮させる。男の視線を目で追って、そこにある窓ガラスに男の姿が映っているのをカヅキも見つけた。

「一体……、何が……」

 男は受け入れられない現実から目をそらすように自らの手のひらで顔を覆った。

「……お兄さんさぁ、」

 それを見て、カヅキは思わず半眼で声をかけていた。

「とりあえず、服着ない?」

 男がきょとん、とこちらを見る。カヅキは渋い顔をそれに返す。
 川から拾い上げた男は、当然濡れた服を身に纏っていた。そしてベッドへと寝かすためにカヅキは当たり前のようにその服を脱がし身体をタオルで清めてから寝かせたのだ。
 つまり現在の男は、全裸だった。

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