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「死」を選びたくなるときもある

今回は今までの学びシリーズとは違い
私の主観で「死」について書きたいと思います🖋

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今読んでくださっている皆さんは
「死にたいな」と思ったことはあるでしょうか?

ある人とない人
それぞれいらっしゃると思います。

私はちなみに「超ある」です。
でも過去形なので「超あった」です。

ツラいとき、しんどいとき
悲しいとき、疲れたとき
「死」を選びたくなることが何回もありました。
数え切れないくらい。

「死んで楽になりたい」
「生きていても生き地獄なだけ」
「ツラいことばかり」

そんな感情が常にあり
実際に死のうとしたことが
何回もありました。

詳細はこちらに。

この記事を書いているということは
生きているわけですけど
実際今は「死ぬこと」について
どう思っているか?というと
「別に死にたくはない」、です。

色々なことがあり
やっっっっっっっと今は自分のしたいことが
でき、やりたいことをやれています。

でもこうやって自分のしたいことをする!
ということはツラいときは
一ミリもできると思っていませんでした。

4回精神科に入院して
何回もODをしても
今生きているわけですけど
今思っても当時の「死にたい気もち」を
抑えることは難しかったと思います。

なぜなら実際に行動に移すくらいの
強い気持ちがあったからです。

今回の記事で私は何が言いたいかというと
目の前に「死にたい」と言っている人が
いたときに私は止めないな、ということです。

冷めているかもしれませんが
実際に私が死にたかった気持ちを踏まえても
そう思います。

「死にたい」という人に対して
「それはダメ」「命を無駄にしてはいけない」
「それは親不孝だ」・・・等々
思う方もいらっしゃると思います。

私の主観ではありますが
死にたい側から言うと
「じゃああなたが代わってくれるの?」と
言いたくなります。

じゃあこのつらさあなたが代わってよ、と。

でも誰も代われないじゃないですか。

つらさを周りが軽減できても
生きるのはその本人。

本人がしんどいのであればしんどいのです。

妹は毎日のように「死にたい」と言っています。
そんな妹に私は「死んだらいかんよ」とは言えません。

生きる方が本人はツラいのです。

かといって「死ねば?」とは
もちろん言いませんが。

祖父が海で見つかったのですが
それだけしんどかったのだと思います。

もちろん私は悲しいですが
それで祖父が楽になったのかも、と思うと
仕方なかったことなのかな、と思います。

もちろん悲しいですよ(2回目)

何が言いたいかって
ストレス社会の今、
死にたくなるときあります。

でも生きるのは自分
死ぬのも自分

生きるなら楽しく幸せに生きたいよね
という話でした。

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福岡県在住24歳👒
16歳でうつ発症、4回の精神科入院
服用歴8年目
精神障害者手帳3級
2022年から大学で心理学専攻📚
「生きにくさを感じてる人達が少しでも生きやすくなりますように」
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