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宮崎、霧島(神話聖地めぐり)

2024年4月16日~20日(当時22歳)に原付で霧島神宮、高千穂峰を目指す旅に出た。大分から原付で約600キロの旅であった。


古事記に興味をもったきっかけ


古事記に興味をもったのは長崎の雲仙のゲストハウスオーナーの市来さんと話してた時。敗戦前、古事記は皆の一般教養だったが戦争に負けたことで教育から外されたと知った。だが古事記には日本人の古来からの大切なものが詰まってるんだよ。

「古事記」というと、教科書で名前を知ったくらいで、中身については何も知らない。だが、日本人の大切にしている価値観や、風化しつつある「何か」を学べる気がする。そう思った。

基盤となる知識集め


まず基礎知識についてはこのような順で学習した。漫画で概要を知り、文字で理解し、口伝で落とし込む。自分が楽しいと思える方法で、自分の段階にあった媒体で学ぶ。
①漫画:古事記
②本:はじめてであう古事記 上
③本:古事記 神話の舞台を歩いてみる 神代篇
➃Youtube TOLAND VLOGさんの日本神話徹底解説

基礎知識(古事記から)
天孫降臨とは高天原(たかまのはら)を治める太陽神天照大神(アマテラスオオミカミ)が葦原の中つ国(地上の国)をつくり繫栄させた地上の神大国主命(オオクニヌシノミコト)に「地上も我が子孫が治めるべきである」と宣言し次々使者を送り(ここにもドラマがあるので気になる人は古事記を呼んでほしい) 国譲りを認めさせ、孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に地上を支配するように命じ三種の神器を授けた。彼はサルタヒコノミコトに案内されながら「高千穂」に降り立った。その時に瓊瓊杵尊が突き立てたのが天の逆鋒(さかほこ)である。

いざ、神話の場所へ

大分から宮崎に南下をし、霧島神宮を折り返しにまた北上した。

①大御神社(おおみ)


宮崎県日向市にあり「日向のお伊勢様」と呼ばれ、天照大御神(アマテラス)を御祭神とする古社。古くは天照皇神宮と言われ、瓊瓊杵尊が皇祖(祖母)である天照大御神を祭り、平安を祈願したとされる。天津国からニニギノミコト率いる天照大神の孫が高千穂に降り立った(天孫降臨)際に、この絶景の大海原を眺められたと言い伝えがある。子孫にあたる初代天皇、神武天皇は、東征(東にゆき出雲王国を倒し、大和王朝を構える)の折、武運と航海の祈願をされたと伝えられている。

感じたこと
「ザザー。」
目前に開けた宮崎の海。その壮大な自然の中に佇む大御神社はまさに「自然との調和」。自然を味方につけているような、柔らかく、それでいて荘厳であった。鳥居が海に面する神社は多いが、海を背に本殿を構える神社は珍しい。華美な装飾でなく、素朴さが感じられる建築様式が日本の美を際立たせ、慎ましく「和」であった。包容力のある、そんな神社だった。
ニニギノミコトはじめ天武天皇など、かつての神々もこの景色を見たのだと思うと、どのような思いでこの海を見つめ、何を思ふたのだろう。そんな思いを馳せながら私も海を見ていた。

側にある巨大なさざれ石
「さざれ石」にしめ縄がかかっていた。この巨石は国家「君が代」に詠われているあの「さざれ石の巌」を意味するのだそう。今から2千万年前にこのあたりは大きな川が流れ河口には大量の「細石(さざれいし)」が溜まっていた。それが粘土・砂などと混じり長い年月で固まり、巨大な「さざれ石の巌」にまでなった。「さざれ石の巌となりて」とはつまり、たくさんの石が結束し一つの巌となるように、皆が力を合わせ、一致団結することを唱えているのだ。ちなみに「君が代」の君(キミ)は日本列島を生んだイザナギ(男)とイザナミ(女)から「キミ」をとったのだそう。

日本神話は神話でもあり、歴史も含まれている。何気なく歌っていた日本の国家にこのような意味や神話が含まれていたのだと知り、胸が高鳴った。気づいていなかったところに大切にしている日本の心があったのだ。自然から人、国のあるべき姿を感じとる和人の心。
「神話を学ぶことがどう生かされるのだろうか?」
自分の民族のことを知り、自身の価値観を理解し、今まで生きてきた人に思いを馳せ、感謝の心を味わう。先人の辿り着いた「思い」を受け継ぐ。

「生きた知識」だと経験した瞬間であった。

さざれ石の上ははるか昔、催しが行われていたそう。目を閉じ感じてみる。


さざれ石(細石)小さな石が集まってできているのがわかる。



縄文人が崇拝した洞窟
大御神社の側には龍宮といわれる洞窟がある。そこは5000年前に縄文人龍神信仰をしていた洞窟であった。実際に行ってみると波の音と荒々しい洞窟の岩に包まれ「これは信仰したのだろう」と頷く迫力があった。洞窟の奥で振り返ると岩と岩から天に昇る龍の光が零れ落ちる。山、岩、洞窟などを奉る自然崇拝に加え、龍を信仰するその心はいつから、どのように始まったのであろうか。なぜか心が切なくなった。

天に昇る龍の光
自然と一体化



②都農(つのう)神社


宮崎県で最も位の高い「一の宮」と呼ばれる神社である。大御神社で出会った神社めぐりが趣味という親子さんがお勧めしてくれたのだ。
創建されたのは、即位する6年前の神武天皇が2690年前(現2023年)、宮崎を出発し東遷の折、この地に立ち寄り、国土平安、海上平穏、武運長久を祈念し御祭神大国主命を鎮祭されたと伝えられる。大国主命は容姿端麗で多くの妃を娶り子宝に恵まれた。そのことから縁結び、子孫繁栄の神と言われる。また医療の法を定め多くの民を救ったことより病気を治す力があるともいう。

感じたこと
隣にある道の駅、神社の前に「神の石」が置かれており、心を込めて本殿裏側に収めると願いが叶うといわれている。他にも願いを込めて叩く太鼓やご神木から生まれた象、身代わり人形(ひとかた)など、珍しいものが多く楽しかった。また、お守りのところに宮司さんがおり、話をしたのがとても面白かった。もともとここは山がご神体(自然崇拝)であり、仏教が伝来した際に影響を受けお社に祭るようになった。
「なぜ神武天皇は先祖のニニギノミコトではなく大国主命を祭ったのか?」という疑問をぶつけたところ、宮司さん曰く「大国主命はかつてこの国を治めていた。その力にあやかる、ご利益を求めて祀祀ったのではないか」と。出雲は製鉄技術も高く、武力があった。にも拘わらず天武天皇率いる大和が国を譲るように交渉したのは呪詛など何かしら特別な力があったのではないだろうか、と。昔は病気や不幸があったときに祈祷を行い呪詛を取り除いていた。海外でシャーマンと呼ばれる方も似ているのだろう。今の日本では病気になれば治療をし、祈祷をすることは珍しい。昔の当たり前が今の当たり前ではない。が、信じられていたということは意味があったのだろう。
宮司さんの知識の深さに胸が高鳴った。



③霧島神宮と高千穂峰


霧島神宮は主祭神瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)。彼は天照大神より地上の国を治めるようにご神勅を受け、三種の神器(草薙の剣、鏡、勾玉)と稲穂をもって高千穂峰に天降りた(天孫降臨)。
※降り立った場所は高千穂峡か高千穂峰か議論は続いている。
奥にはお山神社がある。

お山神社

霧島神宮の歴史
歴史時代以前、山麓には太古の昔から火山の鎮火を願う信仰が受け継がれてきた。6世紀中頃に御鉢(火山口跡)と高千穂峰の間に社殿がつくられ、それが現在の霧島神宮の始まりとされている。平安時代半ばには現在の高千穂峰ふもとにの霧島神宮古宮跡に移され、室町時代の1484年に島津忠昌(ただまさ)の命により現在の地に遷宮されたのである。場所が何度か移動しているというのは驚いた。
山そのものを信仰する素朴な山岳信仰から、神仏習合の信仰の山、そして修験道の聖地、天孫降臨の地。自然崇拝、仏教、神道が混沌とし、時代によって捉え方は変わりゆくがいつの時代も祈りは続いてきた。歴史を知ると霧島神宮の側にあるお山神社はもともとの山岳信仰により高千穂峰を指しているのではないかと思った。

高千穂峰の山頂(逆鋒)
標高1574m。往復3時間半の登山をし、山頂にある逆鋒を実際にみることが出来た。よく頑張った。
ご神木

高千穂峰に登ろうとビジターセンターによると、映像や掲示物でわかりやすく霧島神宮の歴史を知ることが出来たのでおすすめだ。

感じたこと
4月中旬だったため、鳥居から本殿までの道は新緑が美しく、若草色が鮮やかだった。鳥の鳴き声が聞こえ、目も耳も癒される空間。社殿の装飾は翡翠色や黄色など色とりどりで、煌びやかでありながら洗練された印象を受けた。横にあるご神木に心惹かれ、しばらく眺めていた。日の光が柔らかく差し込んでいた。
神宮の前にある工芸品などを販売する「夢つる子窯」には「さみしかった竜神様」の物語が展示されており、胸を打たれる物語で、純粋で、優しい感情に触れることが出来、涙があふれた。竜神様の水も飲めるので探してみるといい。私の石のネックレスもそこで浸した。湧き水などに浸すと石のリフレッシュになるのだ。

➃青島神社


御祭神は山幸彦、豊玉姫命(とよさまひめのみこと)、塩筒大神(しおつづのおおかみ)である。瓊瓊杵尊と木花佐久夜姫の子ども、つまり天つ神と国つ神の間に初めて生まれた神である海幸彦と山幸彦がいた。山幸彦が落とした釣り針を探していたところ塩筒大神が竜宮城に案内し、そこで豊玉姫命と恋に落ちる。2人の間にウガヤフキアエズを授かり、 彼と豊玉姫命の妹「タマヨリビメ」が結婚し、4柱の神を出産。 そのうちのひとりが、日本最初の天皇である神武天皇である。この部分は人が多くわかりにくいが、つまりは瓊瓊杵尊の子である山幸彦の孫が神武天皇

感じたこと
神社の色合いがまさに「南の国」であった。淡い黄色やオレンジ、ピンクなどの色合いや、雰囲気も人懐っこさがあり、ゆったりした気分になる。青島の入り口でビーチクリーンをしている男性がいて、話をした。毎週掃除をしているという。青島に行くと確かにごみがほとんどなく、大切にされているのが伝わった。ペットボトルごみが1つ落ちていたので、神社へのお礼の気持ちを込めて持ってかえった。ごみ拾いは自己満足ではなく、海、海洋生物、地球への愛情表現だ。

⑥瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の墓地


帰り道、延岡を原付で通っていると瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の墓地という看板があった。こんなところにあるのか!と驚いたが、ここまで神話の聖地を巡ってきて、ここが最終目的地のような気がした。同時に西郷隆盛の西南戦争時の最後の宿陣地であり、ラストサムライの聖地でもあった。動画や文章の展示がされており、非常に興味深かく、全国から人が赴くそうだ。日本史に詳しくなかったので、スタッフのおじさんにお話を聞いた。瓊瓊杵尊の墓地の由来や、西郷さんは権力や争いを嫌い、地元の人から慕われる人柄を知り、次は侍について学ぼうと意欲が高まった。
日本書紀では瓊瓊杵尊は死後、筑紫の日向の国の可愛乃山稜(えのみささぎ)に葬られたとある。愛宕山(あたご)のほぼ真北に可愛岳(えのたけ)があり、日本国内でこの名をもつ山はここだけである。瓊瓊杵尊と木花佐久夜姫は可愛岳あるいは山頂の奇岩を依り代(神霊が寄り付くもの)としたのではないかと考えられている。

以上神話をめぐる旅であった。もう一つ有名な高千穂峡があるが、そこは先々週に行ったので割愛。古い神楽も見た。

情報に溢れ、SNSでその場所の映像が見れる。だが、実際に行って6感を使い味わうことは全く違う。神社のもつ空気感、匂い、風、音、直感。ネットで見ただけで満足してはいけない。リアルを味わいに行こう。

神社は呼ばれていないと行くことが出来ないという。人のご縁と一緒である。今回霧島神宮、高千穂峰に行きたいと思い始まった旅であったが縁あっていろいろな神社、人、景色に出会うことが出来た。ほぼ無計画の旅であったので柔軟な選択が出来たと思う。予想の出来ない出会いはやはり面白い。




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