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あるINTJの考える 〝思いやり〟

INTJの欠点としてよく挙げられる【思いやりの欠如】
私個人の意見だが、INTJは確かに思いやりの気持ちが人よりも少ないかもしれないが、全く無いわけではなく【思いやりの使いどころ】をかなり考えていて、一旦その対象と見なした相手には、自分のありとあらゆる【情】を全て注ぎ込む傾向にあるのではないだろうか。

そもそも、思いやりとは何か。

日常的に相手を気遣うことは思いやり?
例えば、相手が忙しい中、自分との時間を作ってくれたことに関しての感謝の気持ち……これは思いやり?
私の基準で答えを出すと、これは思いやりではない。
やらなくてもいいことではなく、やるべき事なので【人として当然のこと】のカテゴリーに入れている。だから、それが出来ない人とは基本的には関係を切る。

最低限の気遣い、他人に迷惑をかけない、他人を傷つけないなどといったことを思いやりではなく【人として当然のこと】だとするならば、思いやりというのは【理屈は関係なく、相手のために自分の身を削る】ことだと私は思う。

「優しい人は強い人だ」

こう言ったのは私の祖母だ。
私はこの祖母の言葉がとても心に残っていて、既に自分の考えになっている。
優しい人が強い人、裏を返せば強くないと他人に優しくは出来ない。何故、強くないといけないかと言えば、人を思いやるのは多かれ少なかれ自分の身を削る行動だからでは無いか、というのが私の考えだ。

では、私の考える思いやり、相手のために自分の身を削る行動とはどういうものなのか。
1つ例を挙げてみたい。

私の母は嫁姑問題に悩まされていた。
姑からかなり理不尽なことを言われたりされたりしていて、「もう会うのやめた方がいいよ」と私はずっと言っていた。しかし、母は「自分の愛する夫の母親だから……夫のために頑張るんだ」とかなり無理をして献身的に尽くし続けた。結果、限界値に達して、母は心を病んでしまった。

これがもし、自分の母親の話で無かったとしたら。
例えば、ただの知り合いから嫁姑問題の相談を受けているだけだったとしたら。
「だから早く会うのをやめろって言ってたのに。私の言うことを聞かないからそうなる。どうせ無理になるなら、もっと早くからやめれば良かったんだ。分かりきってたことだろ」
というかなり呆れた感想を持ってイライラするし、もう面倒だからこの人と関わるのはやめよう、に私はなる。

しかし、私にとって母親は数少ない【情】の対象。
実際、「こうしたらいいのに」という気持ちはあるのでイライラはする。しかし、「もう知らない。勝手にしろ」とはならない。母親の悩みを聞いてあげて、協力出来ることがあれば協力してあげようと思う。
「こうしたらいいのに」という思いを抱えながら、相手に寄り添うという行為は私の本来の性格を考えるとまぁ普通はしないし、かなりストレスを感じる身を削る行為なのだ。でも、限られた人にだけは相手のためを思ってそれが出来るし、したいと思う。
これが私の思いやり。

「人のために何かをしてあげるのが好き」
「人助けがしたい」
という性格の人がある一定数存在する。
決して悪いとは思わない。
しかし、そういう人が他人に与えている思いやりのようなものは、私の基準で考えると純粋な【思いやり】ではない。確かに相手のためになっているかもしれないが、同時に自分も気持ち良くなっている、何なら人によってはそれが第一の目的である場合もあるからだ。
思いやりというより、ギブアンドテイクに近いものなのではないか。
何度も言うが、それを悪いとは思わない。
ギブアンドテイクによってお互いが満足するのであれば、私の考える思いやりよりもそっちの方がいいまである。

ただ、私はこのギブアンドテイクをしない人間だ。
そもそも人助けをして自分も気分良くなりたいという欲がないし、0か100かの考えが強い私は、ギブアンドテイクとはいえ人助けをし始めたらどこまでもやらないといけない気がする。それこそ地球の裏側で貧困に苦しむ民にも会いに行って食料を与える必要があると思ってしまう。しかし、現実問題それは出来ない。
線引きが曖昧な事柄は嫌いだ。明確にここまでという基準がないと嫌なのだ。
だから、そもそもやらない。私は0の方をとった。

これは決して悪いことではないと思う。
しかし、私のような人間は世間から「思いやりの心が少ない人」「冷たい人」と認識されることが多い。
他人に迷惑を掛けていないことを前提として、人助けは本来しなくても咎められることではない。
みんなが自分が無理の無い範囲内で、やりたいだけやればいいものなのに。
何だか変だなと感じる。
他者に思いやりの強要をするって、かなり歪んでいて気持ち悪い。

これは元を辿ると、日本の道徳教育が原因かもしれない……とINFJの真似をして根源まで遡ってみようか。
いや、やはり長くなりそうだからやめておこう笑

INFJと話していると、私の不満や疑問の根源を一緒に考えてくれるので心が落ち着く。
怒りの矛先を向ける場所がなく、1人でブンブン剣を振り回している私に、
「君は何も間違っていない。世界が悪いんだよ。でも、君が1人でその世界と戦う必要はないんじゃない?」
と色んな形で言ってくれるのがINFJだと私は思っている。

これはINFJの思いやりの1つなのでは無いか。

私が救われている反面、INFJが知らない間に身を削っているかもしれない。
だとしたら申し訳ない……?
いや、違う。私も何か別の形でお返しすればいい。

そうすれば、それは【思いやり】じゃなくて
【思い合う】なるんじゃないかな。

などと、上手いこと言った気になってみたり。



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