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あるINTJの幼稚園生時代の話

私の性格はほぼ生まれつきのものだと思う。
というのも、幼稚園生の頃からかなりINTJらしさが出ていたから。

幼稚園生の時も友達はいなかった。
外で遊ぶ時間、みんながかけっこしたり遊具で遊ぶ中、私はハムスターのように1人でひたすら三輪車を漕いでいた。友達がいないから仕方なくそうしていたわけではなく、私は当時しっかり三輪車にハマっていて、自分の三輪車も贅沢に2台持ち(室内用と屋外用)だった。なので、当時は特に孤独は感じておらず自分のやりたいことをやっていただけだと思う。
休み時間の記憶として他に残っているのは、幼稚園で飼っていたアゲハ蝶の幼虫の飼育ケース。生き物が好きだった私はずっとアゲハ蝶の幼虫が餌を食べる様子を1人で眺めていた。

幼稚園自体はとてつもなく嫌いだった。
私にとって幼稚園は「強制的に何かをやらされる場所」だったから。
お遊戯や折り紙は元々苦手で嫌いだったが、歌やお絵描きは嫌いじゃなかった。でも、幼稚園でやる歌やお絵描きは嫌いだった。好きなことは好きな時に好きな場所で……つまり家でやりたかったから。
幼稚園に通う必要性が全く分からなかった私は、年少組の時は毎朝行きたくない行きたくないと泣き叫んでいた。年中組になってようやく諦めて通うようになった。しかし、幼稚園嫌い自体は変わらず、七夕祭りの飾り付けを作る時間に全てを投げ出し泣きながら幼稚園を脱走しようとするという事件も起きた。

当時から攻撃的だった私は、幼稚園の先生に対しての口答えが問題になる事もあった。
「凛ちゃん、シャツをズボンの中に入れようね」
という先生からの優しい注意に対して、
「今、やろうと思ってた」
などと生意気な返答をした。
この私の口答えに、幼稚園の先生は「なんだこのクソガキ……」と思ったのか思わなかったのか、ともかく保護者面談でしっかり母に報告されて、私は母に叱られた。
その時の自分の感情を鮮明には覚えていないが、イマイチ何故怒られているのか分かっていなかったように思う。
そもそも、シャツをズボンの中に入れる必要性が当時の私には分からなかった。今でこそ身だしなみという概念があるので理解出来るが、当時の私は「私のシャツが外に出ていることで誰が困るんだ?」という思考だったんだと思う。だから、幼稚園の先生に突然訳の分からない難癖を付けられたように感じてイラついて、その結果出てきた言葉が「今、やろうと思ってた」。
今もそうだが、当時から理由が分からないままに何かをさせられるのが嫌だった。

幼稚園には延長保育というものが存在し、毎週水曜日はいつもよりも長く幼稚園に預けられた。そもそも幼稚園嫌いな私は当然、延長保育も嫌いで毎週水曜日は最悪の一日。唯一の楽しみは延長保育限定のおやつ、せんべいとペコちゃんの棒付キャンディ。だが、それには延長保育担当のおばさん先生の独自ルールがくっついてきた。

「キャンディは小指サイズになるまで噛まないこと!」

口の中を怪我するだとか、先生なりの理由はあったのだろうが、実際にその理由が明確に説明されることはなかった。
ただでさえ幼稚園が嫌いなのに、さらに理由なく行動が制限されるなんて私は許せなかった。そして、それを強いてくる人間がもう嫌いだった。

結果、私は毎回バリバリとキャンディを噛んで食べた。

元々は最後まで大切に舐めて食べるのが好きだったのに。
「せんせー!凛ちゃんがキャンディ噛んでるー!」
と周りの園児に告げ口をされた記憶がうっすらある。
「凛ちゃん、ダメでしょ!」
と注意されたような気もする。
しかし、私は意地でもやめなかった。

キャンディを噛ませたくなければ私を納得させられるような理由を言え。

私もまだ園児だったので、ここまでハッキリと思考が明確にはなっていなかったが、モヤモヤ湧き上がった嫌悪感や行動の理由を言語化するとこんな感じだったと思う。

かなりクセの強い嫌な子どもだ。
まぁ根本は変わってないので、今も自分に対して嫌な人間だなと思うことは多々あるが笑

幼稚園生の私に子どもらしい部分が全くなかったわけではない。しかし、元は単純に子どもらしかった部分も、色んなことが原因で性格の歪みとなって、今の面倒な性格に繋がっているものも多いような気がする。

その一例を話してみたい。
私は周りの園児が持っていた「プリキュアなどの絵柄が印刷された良い香りがするポケットティッシュ」がどうしても欲しかった。
母にそれを言うと、〝いかにそのようなポケットティッシュが無駄であり必要のないものであるか〟を説明された。
私は納得した。
確かに実用性を考えた時に、ただ鼻をかむための紙に絵柄や香りが必要かと言われると必要ではない。
ただそれとは別に、可愛いもの、好きなものに対する漠然とした憧れさえもくだらないものだと否定されたような気がしたし、そしてその否定に対して実際に私は納得もしてしまって、結果的に歪んだ性格が作り出されたように思う。
要はこの出来事が、
「周りをバカにしたような目で見ているくせに、内心は憧れていたり、自分も出来ればいいなと思っている」
という今の私の歪んだ性格に反映されたように思うのだ。
これをさらに掘り下げると少し話が逸れてしまいそうなので、また別の機会に詳しく書いてみたい。

先程のポケットティッシュの件がきっかけかどうかは覚えていないが、とにかく私はおねだりが出来ない子どもになった。
子どもの頃欲しいものと言えば、お菓子やおもちゃなど言ってしまえば生活必需品でないものばかり。ねだる前から無駄だと言われることは分かりきっていて、買って貰えないことよりも〝欲しいという感情〟を〝そんなものは無駄である〟と否定されるのが怖かった。
そんな私が買ってくれと言うものは絶対に買ってもらえる確信のあるものだけ。
私がパックに入った生のひじきを買って欲しいとねだった話は、今でも親が面白いエピソードとして話す。実際は特に面白い話ではなく、ひじきなら夕飯のおかずになるから必ず買ってもらえるという確信があったから言えただけ。本当は他にも欲しいものはたくさんあった。

そこから派生して、自分が欲しい、やりたいと感情的に思ったことを口に出すのが怖いと感じてしまう今の性格が出来上がった。相手があまり乗り気じゃない反応をしたら……と考えだけで怖い。
感情は理論ではないので、否定されると自身を否定されるような感覚になる。
今の彼氏に対しても、
「○○くんがしたいと思うなら、私もしたい」
「○○くんにしたいという気持ちがないならやめよう」
という相手任せな言い方をしてしまいがち。
結果的に、
「その受け身の姿勢を凛ちゃんが続けるなら、俺とは上手くいかないよ。凛ちゃんはどうしたいの?」
と言われてしまった。
私は無理をしているわけではなくて、自分がやりたくないこと以外に関しては、相手がやりたいことをやりたいと本気で思っている。しかし、当然相手にしたら「自分の感情は無いの?」となるし、相手だって私がやりたいと思っていることをやってあげたいという気持ちがあるのだ。
だから、私は今、なるべくそういう言い方をしないように、そして自分の感情をなるべく恐れず口に出すように努力をしている最中。
たぶんまだ全然上手く出来ていないけれど。


こうやって振り返ると、やはり幼稚園時代の性格は私の今の性格にちゃんと繋がっていて、生まれつきなんだろうなと思うことが多い。

あの頃から既に私は生きづらかった。

性格の根本はきっと変わらない。
それでも、最近はもう少し楽しく生きていきたいと思うようになった。
実際に自分の性格が原因で諦めていることはたくさんあるけど、楽しい人生自体を諦めるのはまだ早いと思う。
そう思わせてくれたのは、彼氏や趣味を通じて知り合った友人。

人と関わるのが苦しいのに、私に楽しい人生を期待させるのは人。皮肉な話だなぁ笑


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