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それは優しさじゃないと思う

優しさって何だろう。

優しさの基準は人それぞれだと思うが、少なくとも私は「聞かれた事は自分の意見を持って返す」「相手が嫌がることはしない」ことが優しさの1つだと思っている。

かれこれ遡る事2年ほど前。
いや…3年ほど前になるかもしれない。
息子の妊娠が分かった後の話だ。
私はどこの病院で妊婦健診を受けるか悩んでいた。
と言うか、まずどこに産婦人科があるのかすら知らなかった。
と言うものの、私は地元から離れた大学に一人暮らしをしながら通っていた。
よって、住んではいるものの周りのことは全く分からないという状態だった。

息子の妊娠は2回目の妊娠で、1回目の妊娠は出血からの流産してしまった。
今回の妊娠で里帰りする予定だったとしても、里帰り前に出血があれば産科のない病院では受け入れ拒否されてしまうだろう。
1回目の妊娠時に出血があった時はそうだった。
元々かかっていた病院がちょうど休みに入った期間だったが、大学もあったので大学近くにある病院に電話をかけまくった。
文字通り片っ端から電話をかけた。
その時に「うちでは診れない」とオブラートに包んで言われてしまった。
今回の妊娠もどうなるかなんて全く検討がつかない。
だから何かあった時にも診てもらえるようにと、産科のある病院を探そうと思った。

ここでだ。
私は同じ大学に通っている夫にどこの病院がいいか相談した。
妊婦健診に来るかどうかとか、入院することになった時に夫も来やすいようにとかは置いといて、とりあえず意見を聞いとこうと思ったのだ。
まだこの時は好意もあったはずなので、そんなことも頭の片隅にあったのかもしれないが。

すると夫からこう返ってきたのだ。
「好きなところでいい」と。
だいぶん前の話なのでもしかすると夫の口から出た言葉としては違っていたかとしれないが、要約するとそう言う感じだ。

「好きなところを選んでいい」
と言われているのだから優しいと感じる人もいるかもしれないが、私は無責任だなと思った。
「好きなところを選ばせてあげたのだから、病院に行くまでの時間や、妊婦健診費を含めた費用は全てりんちゃんが出すべきだ」とも捉えれる。
この頃から私が捻くれてるだけかもしれないが。
要するに夫の返答に対して「当事者意識がない」「無責任だ」と感じたのだ。

「好きなところでいい」といったのだから、私の選んだ病院に関してはノータッチかといえばそう言うわけでもないのが問題なのだ。
私は切迫流産と切迫早産で2回入院することとなった。
私が入院中は何回か夫はやってきた。
私としては1人の時間が確保できる、これで夫と顔を合わさなくても済むと思っていたのだからいい迷惑だと感じたのだが。
「バイト休んで会いにきた」と言って来たときもあった。
「会いに来たんやから喜んでよ」と言われたこともあったが、私からすればありがた迷惑な話である。
人のことを"低脳"だとか馬鹿にしておきながら今更喜べと?
かれこれ思い出さなくてもいい負の感情に無理やり蓋をしながら、「わー嬉しい」と棒読みで返したこともあった気がする。

切迫早産で入院してから半月ほどは点滴の副作用による全身の痛みに耐えながら、ようやく1ヶ月の長い長い入院期間が終わった。
入院中は点滴の副作用が治ったかと思えば血管が次々と潰れていき、点滴の針を刺すことができなくなってきていたのも嫌な思い出だ。
退院時に医師からは「自宅安静」を言い渡され嫌な顔をされながら、母の運転で地元まで帰ってきた。
そりゃ車で1時間半の道のりは勧めんわな…とも思うが、一人暮らしをしていた賃貸に戻るわけにも行かないので実家に帰宅することとなった。
そうすると必然的に大学に通っていた夫との物理的な距離は開くのである。
私としては、これで夫と顔を合わせて暴言を吐かれなくて済むと嬉しい限りだったが。
夫は大学とバイトがあることに加えて、会いに来るには時間もお金もかかるからとクリスマスくらいまで会いにくることはなかった。
かれこれ1ヶ月以上は会っていなかったと思う。
息子が産まれるまで、クリスマス以降にも頻繁に会いに来ることはなかったが。

私は夫と会っていない間に里帰り先の病院に行き、入院の手続きやら入院準備やらとせっせと進めていた。
夫とはLINEのやり取りと電話のみ。
その時に「会えないの寂しいな」と言われた。
私も同じように「寂しいね」と思えたらよかったのだが、現実はそんなに甘くない。
「好きなところでいいって言ったのに今更何言ってんの?」と言う感情すら出てこなかった。
里帰り出産の予定も伝えてあった。
私が悩んでいる間、産婦人科も案すら出さず私に丸投げしたじゃない。
寂しいと思うなら一緒におれる方法も考えて提案してみたら?
貴方の親が「家改築して一緒に住む」とか何とか言ってたよね?
一緒に住みたいとは微塵も思わないから、その後1回もその話題が出ないことには安堵した。
「親が一緒に住むって言っとるんやから〜」なんて話題に出されて断るなんて羽目になったらたまったもんじゃない。
そもそも口だけな人間だからそんな心配は杞憂なんだけど。
何もしてないのに今更「寂しい」と言われても知らんがなと思う。

とは言え、息子が産まれてから1ヶ月ほどだったか、毎日のように会いに来ていた時があった。
バイト辞めて次のバイト先が見つからないと言うか見つけてないと言うか…要するに働いてないから来てたんだけど。
産まれてから初めてのプレゼントを息子にあげたいと1mくらいあるイノシシのぬいぐるみ(と言っていいのか分からないサイズ感のもの)を一万円以上の材料費を費やして家に置いて行ったこともあった。
その頃から私は「物はいらない。お金が欲しい」と言うようになった。
掃除もせんくせに物だけ置いていって邪魔やねんと言うのが本心である。
私がそう言うと「いっつもお金お金」「お金ばっかり。愛はないんかい」と言われる。
持ってくるだけ持ってきて、誰が掃除する時に移動させるん?誰が管理するん?息子が興味を持った時は誰が安全の確保をするん?
全て私じゃない。
自分の気持ちが満足感を得たいがために持ってきて、後はノータッチ。
無責任だね。

心の声がついに口から出てしまった。
その日夫が持ってきた物は家で楽しめるプラネタリウムみたいなやつ。
ラッピングされた箱を渡された時から「また何か持ってきた。いらんって言っとるのに」と言う気持ちを抑えることができなかった。
包装を外すとやっぱり物。
充電式のものだった。
この頃、息子が寝る前は電気を小さくして静かな部屋で寝させていた。
こんなもん暗くしてからつけたら寝へんがな。寝かしつけは全て私やのに何無駄なもん持ってきてくれとんねん。
で、この電気代は誰が払うわけ?
これどこに置いとくん?
誰が移動させて掃除するん?
あれだけ物はいらんって言っとるのにまだ持ってくるん?
嫌がらせなん?
と低い声で責め立てたのを覚えている。

すると夫は「せっかく買ってきたのに」とポツリとこぼした。
私が今まで「いらん」と何回も言ってきたのに聞いてなかったの?
人のいらないと思ってる物持ってきて喜べと?
無理があるやろ。
そのプラネタリウムだったであろうものは結局夫が持って帰った。

私が言い過ぎていると思う人もいるかもしれないが、私は夫の言動を自分の気持ちが満足感を得るために人のいらないと言っている物を押し付けたようにしか感じなかった。

夫にとってはこれが優しさだったんだと思う。
ただ、私にとっては嫌がらせに感じた。

自分にとっては優しさだと思っていても、相手にとっては優しさだとは受け取れない時ってどうすれば良いんだろうね。
優しさってなんなんだろうね。

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