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2年の恋に終止符を打つ

初めての社会人生活。
23歳の10月から派遣社員として働き始めた。
派遣先の会社の人間関係には恵まれ、新卒で右も左も分からない中1から10まで丁寧に仕事を教えてもらった。
派遣先1ヶ月目で仕事の引き継ぎを告げられ、2ヶ月目からは社員の方から引き継いだ仕事を目まぐるしく回す日が続いた。
ただ、働くことが生きがいである私にとっては毎日が充実していた。
業務上関わりのある方は何も分かってない私に教えてくれ、多少のミスも大目に見てくれたおかげだった。
その中に彼氏となる人がいた。
好きになったきっかけは電話口の声だった。
地雷を踏み抜くようなら身を引こう。
そう思い、付き合う前にあれこれ話した。
彼は見事に地雷を踏むことなく、3ヶ月ほどの猛アタックの末、付き合うことになった。
仕事終わりの「付き合おっか」の一言で。
とても嬉しかったのを覚えている。
年齢差で渋ってたらしい15歳上の彼が承諾してくれたのだ。

そこから1年半近くは順調だった。
「結婚を前提としてお付き合いしてください」とのことだった。

息子を連れて公園へ行き、外食や買い物にも行った。
夏には海にも遊びに行った。お泊まりもした。
ペアリングを購入した時はとても喜んだ。
また来年も遊びに行こうね。本気でそう思っていた。
大好きだったから。

派遣社員から、1年経って転職して正社員になった。
転職した日から私の歯車が狂い始めてたんだと思う。
念願の正社員雇用。職場では分からないことだらけだったが、教えてもらいつつ仕事をしていた。
それが私にとって仇となった。
派遣社員で働き始めた頃も分からないことだらけだったのに、毎日忙しく仕事をこなしていくうちに、気がつけばそれが当たり前になっていた。
しかし職場が変わると業務に追われるのではなく、何をして良いのか、何をしなければいけないのかが分からなくて苦しい日が続いた。
仕事ができない苦しさに涙が止まらなくなった。
「何もできないのが苦しい」と、転職してからすぐ彼に泣きついた日もあった。
何日も仕事終わりに泣く私と一緒にいてくれた。
何も言わずに抱きしめてくれた。
見かねた彼の「病院行っておいで」との一言で精神科への通院が始まる。
精神科で出してもらった薬が効いたのか、徐々に仕事を覚えて来たからか涙が出なくなり、薬を止めることができた。
試用期間が終わる前にアドレスを作ってもらい、社員登用となった。
が、職場を3ヶ月ほどで辞めることになる。
理由は社内の贔屓に耐えれなくなったから。
入社直後は仕事ができず涙が止まらなくなった私だったが、そのうち同時期に入社した人との立場が逆転した。
所長と長年勤務している社員の方があまりよく思っていないのが手に取るように分かる。
もしかしたら私もまたその立場に戻るかもしれないと言う恐怖心。
自分も同じ立場だったから見るに耐えなかった。
涙はもう出なかったが、メンタルが削られていくのが分かる。
このままじゃ私が耐えれない。

ちょうどそのタイミングで、親が事業を立ち上げるから一緒にどうかと言う話を持って来た。
職場での息苦しさに耐えかねた私は親の話に乗ったのだ。
2月退職で何とか区切りをつけ、ある意味自由な時間を手に入れた。
そこから2ヶ月ほど経ったある日、役所から講演のお話を頂く。
ここで鬱を再発することになる。
過去のいじめ、性被害等フラッシュバックが始まる。
涙が止まらない。息苦しい。寝れない。
以前とは比べ物にならない、数え切れないくらいの症状が出る。
精神科への通院を再開し、また薬を飲み始める。
何回彼の前で泣いたんだろう。
ある日、「気持ちが持っていかれるからやめて欲しい」と言われた。
苦しかった。
鬱の原因は自分で作って、症状の酷い私と付き合うのに疲れてたんだと思う。

彼の夏休みに、息子を連れて海に行った時も鬱は治っていなかった。
2回目の海。息子は楽しみにしていたが、私の心は過去の自分に押しつぶされていた。
息子を寝かしつけないといけないのに、室外のトイレに抜けてから部屋に帰れなくなった。
代わりに息子を寝かしつけた彼が探しに来てくれた。

「あんな事があるなら結婚できない」と。
『あんなこと』と夏休みの出来事を指して後日言われた。

「鬱が治ってないのに結婚できない」
「完治してから1年は待って」
「まだ息子の父親になる覚悟がないから」
元々結婚しようと言ってた日からわがままを言って早めてもらったが、1年ほどは待ってと言われた。
「結婚したのにすぐに離婚したくないやん?」と。
どれだけ時間をかけても離婚する時はするよ。
付き合ってる長さは関係ないんだよ。

もうちょっと入籍を早めて欲しい。
何回も彼に掛け合った。
私は『結婚前提』を入籍前提と思っていた。
でも彼は『事実婚前提』だったのかな。入籍の話を出すと話が噛み合わなかった。
そして、しつこい私に「親の許可が下りないから」と断る。
よくよく話を聞くと、再婚だと親の籍に息子を入れると思っていたようで、親が鬱の私がいると許可しないだろうとの事だった。
私が鬱である事は親に隠すことは絶対にしないと言う強い意志を感じた。
再婚に対しての認識の相違を訂正しても無理の一点張りだった。
今、思い返せば彼が入籍を断るのも当然で、相当酷い状態だった。
あの頃の自分に入籍を迫られても、私も断るんだろう。
でもあの頃の私はそれが私であり、何か変えなければ私も変わらなかった。
だから彼の言動は理解できるし共感もできる。

私の症状がピークだった頃、親との関係性も悪くなった。
薬も衝動的に捨て、病院にも行けず毎日が絶望でいっぱいだった。
仕事も行けず、毎日車を走らせて何をするわけでもなく1日が終わるのを待った。
頭の中がいつも以上にうるさくて、目を開けているのに目の前の物は何も見えていなかった。
その間も何回かお泊まりした。
泣いてると嫌がられるから必死に涙を堪える日が続いた。

普段は嫌がるのに、耐え切れず涙が溢れ出てもやることはやるんだ。この人にとっての優先順位って何?
彼の事が少し分からなくなった。
元から彼の事をよく知っているわけではないけど。
別の日には「薬飲んでても飲んでなくてもそんなに変わらないね」と言われた。
あなたが嫌がるからそう見せてるんだよ。
分からないものなんだね。
思ってても口には出せなかった。
だって、あなたのことが大好きだから。
口に出すと関係が崩れると思ったから。
痛い。気持ちも涙も押し込んで演技する。
そうは見えないでしょ?って。

この頃、精神科への通院ができなくなったのに加えて、婦人科への通院もできなくなっていた。
そのため、ピルも飲めていなかった。
「避妊目的もあるからピル代半分は出すよ」と言ってくれたので、婦人科に行った日は彼に報告していた。
ここ最近は報告してなかったので、ピルを飲んでいないことは知っていると思っていた。
でも休薬期間中(白い錠剤の期間)だと思ってたようで、「妊娠してないと思うけど、念のため緊急避妊薬飲む?」と提案された。
ただ、緊急避妊薬の副作用が出ても何も手伝わないよ、と。
「妊娠してたら今は無理だから堕して」と。
結婚するまでは妊娠したら堕してと言ってたっけ。
いざ、その現実に直面するかもしれないとなると目の前が真っ暗になる。
妊娠していないことを確認するまでに、精神科での薬を再開した。
頭ではこんな状況では無理だと分かってる。
でも倫理的には?

「今は無理だから堕して」
頭から離れない彼の言葉。
この人も同じなんだ。
この人なら違うんじゃないかと思ったのに。

別れようかな。
自分のことなのに、1人だと決めることができなかった。
自分のことなのに、「どう思う?」と聞くしかなかった。
「別れた方が良い」で満場一致。
気持ちが激しく落ち込んだタイミングで別れ話を切り出した。

「嫌いになった?」
「嫌いなんじゃなくてしんどい。大丈夫じゃなくなった」
気持ちは大丈夫じゃないのに苦しい。
引き返したい気持ちと、引き返しても楽にはならないよと自分を戒める気持ちが混在する。
丸一日返信がないことに耐え切れず、「どう思ってるか分からないから会って話したい」と切り出してしまった。
残業、休日出勤、出張が重なって12月頭まで動けない。
元同じ職場だから忙しいのも分かる。
そっか。
もう彼から返信が来ることはなかった。

さよなら。大好きだった人。

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