犠牲

※この文章には暴力的な描写が含まれています。


 赦しとは何なのでしょう。赦すことがわたしのためになる。そうなのでしょう、わかりますよ。ただ、具体的にどうやって?正解の道はありませんか?相手の数より多くの道がありますよね?

 夢で遊園地へ行きました。「ジェットコースターで落ちる時の不快感は真上を向くと軽減する」という情報は正しかったです。
 閉園時間を迎え、格式の高そうなレストランで会食することになりました。家族で固まって座ったので、楽しい一時は終わりました。

 隣にいた姉と諍いが起こり、わたしは木製の野球バットで彼女の顔を殴りました。あいつは自身の非を認めずに周囲が折れるまで嘘を吐き続けるヒトなので、夢の中では何度殴っても立ち上がって言い訳をしてきました。テーブル、食器、壁、バット、あいつ。わたしが殴る度に、あいつの血に塗れていきます。
 夢の中だから、あいつは死にませんし、誰も止めませんし、わたしには味方がいました。

 はっと目が覚めました。現実世界では、わたしがただ寝ていただけ。しかし、わたしの姉に対する復讐心は幾許か報われたように思います。このような夢や妄想での暴力的な報復を経て、相手を認められるようになった場合、それは赦しといえるのでしょうか。

 眠りにつく前に、母からの手紙を破いて捨てようかと考え、わざわざ捨てるまでもないだろうと結論づけました。その後見た夢が、家族を何度も殴る夢でした。
 潜在意識に家族が陣取っているのは気分が悪いです。家族との記憶はまるで呪いのようで、貰ったものには呪いが解けないように見張られているように感じます。

 家族に関しては、間違っていても、道理に反してもいいから、わたしがわたしでいられる道を進みたいです。邪魔者を抹殺し、一つだけの存在で前へ進むのです。

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