揺るがないもの

 夢の中で数え切れない程の人と愛し合ってきた。友愛、恋愛、性愛、分類しようとすればもっとあるのかも。
 目を開けた時は、あったかい気持ちになって、寂しくなる。もう一度寝ようとしてみる。できない時は、目を瞑って夢での光景を思い返す。知り合いが出てきた時は、また(違う状況設定で)会えるかもしれない。でも、現実世界での記憶にない人は、もう会えない。顔も名前も忘れているから、もしまた会えても、気付けない。
 夢の内容は悲しいことが多い。それが夢だと気づいていなくても、先の未来で別れが訪れることを悟っている。
 起きたから悲しくて、でもあったかくもあって、まあわたしは現実世界を生きていかなければならないから、目を開けて現実を見る。夢の世界でのことは、忘れないようにたまに思い返して、ちょっとあったまる。

 他人とは結局別れることの方が多い。たくさんの人と出会っても、そのほぼ全員と別れていく。SNSアカウントだけは繋がっている。もう会わないだろうけど、なんか悲しいから、わざわざ完全に別れる必要はないから、過去のつながりを可視化して置いておく。
 もう会えないのに、会っても前みたいな距離にはなれないのに、その人が別の世界で生きていくのを見続けるのは寂しいから、やらなくてもいいのにちゃんと別れたいと思ってしまう。でも、そのちっちゃなちっちゃな、見えないような縁が大事なのかな。0.00なんの縁と、完全に0の縁は違うよね。

 夢で他人と関わって、愛し合って、現実世界で目を開けた時、「独り」を実感する。でも、自分は他人と愛し合うことができるんだと思えて安心する。現実でもできているかはわからない。
 友達は愛してくれているように感じるし、わたしもその人たちを愛していると思う。だから、友愛は知っているのかも。恋愛はわからない。上手く行ったことがない。無償の愛は知らない。母から連絡が来る度に、「やっぱり、そうなんだな」って思う。「やっぱり、母が愛しているのは「母の子供」で、「わたし」じゃないんだな」って。

 まあでも、わたしは大丈夫。自分自身を愛しているという確かな実感がある。ここまで来るのは長かったな。数年前に書いたけど、前は大切な人ができると、わたしの中でその人の存在が大きくなりすぎて、自分自身の立場が危うくなってしまっていた。もうそうならない気がする。「わたしが最も愛している」のはわたし自身で、「わたしのことを最も愛してくれている」のもわたし自身である。ずっとそうなるために努力してきて、やっとそれが揺るがないものになった。

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