多様性の中に「おっさん」もカテゴライズしてくれorz
「最近、腹がよじれるほど笑った事ありますか」
いつの間にか時代は進み、「デブ」にデブと言えない社会。「ブス」にブスと言えない社会となった。昔少年誌に「つるピカハゲ丸くん」という漫画の中に「ブスねーちゃん」というキャラがいた。現代に出したら大問題になるキャラクターだ。つまり作者だけでなく編集した人間も含め多くの大人だけでなく、法人単位で「ブスねーちゃん」を容認できる社会であった。
今は太っていても多様性、同棲愛でも多様性、昔はなかったADHDでみんなと同じ事が出来なくても多様性。「女」という漢字があるのに「女」と言えない多様性。
「おっさんにおっさんと言えない……」
ん?言われているな。何故だ。
早くおっさんも多様性として認めて欲しいのだが中々おっさんは認められないのだ。
全世界にうじゃうじゃ存在しているはずのおっさんであるが、おっさんは全世界で嫌われる傾向がある……気がする。いや、発展途上国だと大丈夫だが、先進国を名乗る国にいるとおっさんの地位は著しく低い気がする中で、日本は特におっさんが生きづらい文化があるような気がするのだ。
このように、おっさんになった我が身を考えると全然多様性の仲間入り出来ないのだ。
安芸高田市の市長は言った。
「老人は口を出さず金を出せ」と。
その出す金も多くのおっさんはないから口出すしかできないのだ。まぁ市長は違う意味で違う層に言っているのだろうが。
都内の朝、おっさん達はスクランブル交差点をとぼとぼと8割くらいの人は歩いている。
元気100倍アン○ンマンのような楽しそうに歩いているおっさんなどほぼいない。
いたら何故かキモい。
あとの二割は満身創痍でガチで死にかけか、ストレスが溜まりすぎてわざとゆっくり歩いて左折車に嫌がらせしているおっさんだ。
家庭を持てないおっさんも諦めモードで疲弊している。
家庭を持っているおっさんも多くは疲弊している。ようは楽しくないのだ。
それはそうである。よくVシネマで「貴様何年も組の飯食らうだけ食らってなに晒してんのや」と言うのがヤクザなら「20年近く子どもとして保護してやったんだ。あと45年、足りなければ55年間働いて税金払い続けろや」が、国である。上手くいけば莫大な税金を払ってえばる事が出来て、いかなければ奴隷と変わらないのがおっさんである。
では身近な国、市役所に行っても楽しそうに働いているおっさんなどほぼ居ない。国も国民もおっさんはあまり楽しくないのだ。
元気そうなおっさんを思い浮かべても2:50くらいしかパッと浮かばないのが日本です。元気な2:50が登録者数400万人を越えるのは、異常事態だと思っている。
元気ではあるがドラえもんみたいなあだ名のお金持ちも、健康青汁の元創業者もあゆの元カレもコレコレも政治や生活に疑問を持ちネットで文句を訴えても変わらない世の中であり、なんならネットで政治家本人と話をする論破王がいくら疑問を投げかけてものらりくらりでおじい様達には届かないのが現在です。
みんな努力しなくても多様性を手に入れたのにおっさんだけは努力しないと多様性の仲間入り出来ない……不公平でござる……
税金もしこたま取られ、どんどん奪われながら必死に生きているのにその姿はどうしても「負け組」に見られる不思議。
毎月、毎月給料日の後、支払いを終わらせると絶望を毎月感じているのに優しくされない不思議。
離婚すれば金を奪われ、子どもは嫁に散々悪口を吹き込まれ生涯孤独を余儀なくされるおっさん。
バツイチ又は未婚者のまま、ただただ税金を払うために海に捨てられたゴミのようにうじゃうじゃ漂流している。
実際幸せなおっさんって何人いるのだろう。
考えるだけで鬱になりそうですよね。
みんな気づいていない人が多い。
現代のおっさんは、戦後と変わらぬ状態になっているのだ。つまり僕らの祖父くらい辛いのだ。
戦後週6で働き食料を調達し、街にヤクザが溢れているので自ら命を守り、なにが偉いのだかわからん上司にグーで殴られ「殴られずに一人前になった男などいない」とよく分からない理屈でぶっ飛ばされ脱落し自殺するものは、弱い人間と切り捨てられてきた。おじいちゃん達ありがとうございました。
そして経済は発展し、我が父上達は多少の名残りすらあれど腕立てが一回も出来ないのに、なんら根拠のない主観を好きに喋って偉そうに出来た世代を生きた。今では用もないのに病院に行ける世の中である。
そして現代。おっさんになっても毎日腕立てやスクワットに励み、食事は米や小麦をなるべく口にしないよう葉物野菜中心の食生活を行い、髪の毛以外の毛を脱毛し、現代ヤクザ(嫁、弁護士)に金を取られないように気をつけ、常に新しく更新される世の中に対応する。これが最低限マストの生活。そして金を稼ぐことが出来なければ ただただ少額の税金を永遠に払い続ける惨めな生活、家庭を築く為には相応な金がもらえる仕事、その後の家事業務をこなすダブルワークを行う体力を余儀なくされるのだ。
死なない、殴られない代わりに行き場を失ったオスが溢れかえるのが現代。
闘うことを余儀なくされた戦争があった時代と形は変われどやらなきゃならないスキルが戦後と変わらないのだ。
気づけば楽しい事すら思いつかなくなっているおっさんも多いのではないだろうか。
そして酒を飲めなければ社会人ではないとされ、酒を飲まされ仕事から帰ると酒に飲まれる生活。「タバコ吸う奴はカッコイイ」とされ、じゃんじゃんタバコを吸ってた僕らの時代の今おっさん。気づけばどちらも麻薬であり、酒に関しては税金をとるためと、民衆が言うことを聞くように国が管理しているのが、ほとんどだと今になって聞かされる。
そしてタバコや酒は突然「悪」となった。
そう。多くのおっさんは、辛いのである。
出来なかったおっさんは、55年の労役を上手に強いられ、更に家庭を持てば働かない妻であっても家事までこなさなければならない。
「奥さんに全部任せるのはおかしい。男もやるべきだ」働いていない女性すら文句を言っても問題ない世の中になりつつある。
「働かないおっさん」というワードが、今後も働かない嫁と同じように扱われることは、恐らく二半世紀は、ないと思われる。
働かないおっさんなど、人間扱いされぬのである。
今の若い男の子も含めてこれからもやりたくない仕事を仕方なくやる世の中は続くのだろう。誰が便器の卸問屋などやりたくてやっている奴がいるのだろうか。
誰が好んで夏の暑い日にヘルメット被って工事現場で仕事したいと思うのだろうか。
僕らおっさんが唯一出来ること!
そうだ!病院に行こう
交差点でノロノロわざと歩くおっさん。
テストでおっさんが通過する前に車で左折してみる。すると予想通り多くのおっさんは怒る。「ボクちゃんは歩行者だぞ!ボクちゃんを先に行かせるのが車の義務だぞ」と言わんばかりである。じゃあ現代に合わせて努力すれば良いじゃないか。と理屈はわかるが年相応に体力は疲弊しているのだ。じゃあどうするか。
遠慮なく病院に行こうぜ!
病んでいるのだ。
最終的には、元気で人に対して優しくなれる余裕が必要だ。人にやさしくなれるために病院にいくべき。
元気がなく人に対して意地悪になってしまうなら病院が必要だと思うのだ。
怒りっぽい、落ち込みやすい、疲れやすい、ヤル気がない。
そんな状況ではおっさんは自分を労り、人にやさしくなれるまで沢山休むべきである。
宗教に頼るのも良い。
カルト教団じゃなくて今やそんなに悪い事が出来ない創価学会とかに入って友達は一切勧誘せず、街を掃除したり、変なお経をみんなで読んだりしてなんか知らんけど近所のみんなとわちゃわちゃするのだって考え方によっては救われるのかもしれない。
因みに僕も創価学会にヤクザに入れさせられたが、一度も行ってない。お経も読んだ事がない。困ったら一応名前が残っているから都合いい時だけ使おうと思っている。
勧誘さえしなければ周りに迷惑をかけないし、宗教の方法として会員に勧誘させて嫌われ、孤立したら教団を頼らせるっていうロジックで宗教の布教活動は行われているという方法と目的さえ見極めれば勝手に相手も仲間だと思ってくれる都合の良いコミュニティと考え方によっては使えるのだ。何度も言うが、わざわざ少ない友達を勧誘して嫌われるデメリットを避ければ良いだけなのだ。金も払いたくないなら「ない」と言えばいいだけだ。多くの学会員も金などないのだ。そもそも貧乏人だらけの学会員に求めているのは数である。一応公明党という国政政党であるのだから会員が困っているとなれば議員は優先的に会員の話を聞いてくれそうではないか。
そうして学会員にお金を払わなかった貯金をして美容院に行ったり、オシャレな服を買ったり脱毛したり、臭いなら香水買ったりして自分の身なりを整えると僕なら思う。
公明党だって金云々もあるだろうが、まずは票が欲しいのだ。
僕なら選挙に行けば公明党に入れます!と言い見ていなければN国党に入れるだろう。
僕に生活するのもキツイくらいお金がなく、女性とも仲良くなれない状況なら間違いなく創価学会に顔出しまくって女性をゲットしようとします。だって会員ってだけで勝手に不信感が薄れている状態を作れるのならマッチングアプリよりも効率いいかもとすら思っているくらいです。宗教は利用されるものではなく本来利用するものの筈です。だから宗教法人は無税であり、誰でも入れる状況を作らなくてはならないのです。
「人々を救いたい」って宗教側がわざわざ言ってくれているのだから、金もない、女とも出会えない、でも勧誘もしたくない、でも孤独感を救って欲しいと思えば向こうが助けたいって言っているのだから遠慮なく甘えれば良いとすら思うのです。騙されると思うのは情弱です。何度も言うが金を全然払わない、持っていない会員に宗教だって期待していません。男臭い消防団とかに入るより女性がうじゃうじゃいる宗教のほうが楽しいに決まっているのです。まぁ自ら創価学会に行って「入りたいでーす」なんて言うと怪しまれるので「大作先生の本を読み感動しました」とか読んでもいない本を読んだという嘘を言う必要くらいはあるかもしれませんね。
僕らおっさんは時代的に結果のでない労働を強いられすぎました。そして頑張っていた事は過去となり、今ではゲジゲジか、おっさんかみたいな扱いです。そんなおっさんに是非休息と多様性を
𝓡𝓲𝓷1129
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