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僕が今興味を持っていること

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こんにちは、国武りんです。
今日はいつも書いているような学びになる記事ではなく、今自分がなんとなく思っていることや興味のあることについてだらだらと書いていこうかなあと思います。ちょっとセンシティブな内容になりそうなので、そこだけご理解ください。決して誰かを攻撃しているような意図はございませんので!!


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◯終わり際が大事

何についても言えるのですが、やっぱ「終わり際」はかなり大事です。
デートについても、イベントについても、Youtube動画についても…
基本、人間は体験したコトに対する印象はそれが一番盛り上がったところ(ピーク)と終わり際(エンド)で決まります。これをピーク・エンド法則と言ってよく恋愛学では用いられるのですが、みんなピークについては意識するのですが、エンドについては一切考えず結果だらだらして終わることが多々あります。
いくら派手に盛り上がっても、最後の最後に友達がうんこを口から吐いたら台無しですよね?それとおんなじで、僕らはもっと’最後’に着目しなければいけないんじゃないかなあと思ってます。

でいうと、これは何も恋愛やイベントのみならず、’人生’についても言えることだなあと思っていて、人生のエンドは’死’です。ここについて今僕が興味を持っていることがあります。


◯人生の終わりを決める

人生の終わり際や去り際をずるずる伸ばしてしまってその結果みんなから忌み嫌われる存在とはなんでしょう。そう、’老害’です。
昔の凝り固まった固定観念を抱きながらろくに言葉も喋れないのに上のポジションに立ち、既得権益を守るため若者のポジションを潰す存在、まあこれがざっくり老害でしょう。これは何も年齢問わずどこの世代でも多かれ少なかれ存在していると思いますが、特に多いのはやっぱ死に際を失った高齢の方ではないでしょうか。
最後は体をろくに動かすことができずに老人ホームにお世話してもらいながら息を引き取るが、老害化してしまったがために周りにはほとんど誰もいない、なんてパターンは1000とあるでしょう。
僕はこんな人生の終わり方は嫌です。せめて、頭がバリバリ働いて体も動かせてみんなにモテている状態で人生を終えたいです。人生を終えるときに、「いかないで!もっと生きて!」といわれることが僕の夢です。
ではどうすればこの夢を達成できるでしょうか?どうすれば老害化を事前に防げるのだろうか?ひとつあるなあと思っているのが「死ぬタイミングを事前に設定しておく」です。

◯安楽死という選択肢

死ぬタイミングを設定するといっても、自殺は嫌です。怖いですし、人に迷惑をかけるのは嫌です。そんな場合にあるのが’安楽死’です。
今、安楽死というオプションは海外のお金持ちのみに許されているもので、日本ではまだ許されていません。その是非についてはいろんなところで議論されていますが、これが良いか悪いかは一旦置いといて、今回の記事は僕が個人的に興味あるということです。
具体的にどう興味があるのか。僕は死ぬことはあまり興味がないというか、嫌です。だって、怖いじゃないですか(笑)
僕が興味あるのは、安楽死によっていつ終わるか決まった人生です。余命宣告された方と少し違うのは、「自分で設定できること」「終わる時がかなり具体的にわかること」この二つが挙げられます。
人生に終わりを決めた時、自分はどう変わるのか、そして周りはどう変わるのか、これについて僕は興味があるんです。

例えば友人や家族としか繋がっていないTwitterで「僕は来年の1月1日に安楽死するのでお願いしまーす!」とツイートしたらどうなるのでしょうか。周りの反応や、その日が近づくにつれて自分や周りの行動にはどのような変化が現れるのでしょうか、はたまた今までの人生と特に変わらないのか…

’死’については怖いし考えたくもありませんが、いつか僕は死ぬので、なら最高の死に方をしたいですし、高齢化したこの日本において安楽死というオプションについてもっと議論したほうがいいんじゃないかなあと思います。

◯まとめ

何事も終わり際はかなり大事です。その一瞬で印象は大きく変わります。そしてそれは僕らの人生についても言えることであります。それに関連して僕が少し興味のあることをお話しさせていただきました。内容を過激に思われた方はすいません!!ではまた


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