光琳の燕子花図屏風、夏草図屛風

ちょうど、根津美術館で光琳の燕子花図屏風が公開されて、
観に行った。

構図について、目が行ったことを話したので、そのメモ。

屏風は、
今の私達は、美術館でみるけれど、もともとは実用品。
宴席などで、主賓の後ろにおくもの。屏風の中央に、今日の主役が座わる。
屏風絵は「ここです。こちらにいらっしゃるのが、今日の主役です」
というために、中央にあたる部分を最も華やかに見せている。
華やかなモチーフをおいたり、ここ一番の表現力を見せたりしている。
わざと空間を空けて、周り中からモチーフで囲んで盛り立てたりもする。
ちょうど少女漫画で、主役が花を背負って登場するみたいに。

光琳もその時代の人だから、当然そのつもりで屏風制作に取り組むのだが。

この燕子花図屛風、主役の席のところに、花のない葉っぱが描かれている。
それが、どうみても、主役の引き立て役になるべく、葉のみを描いた感じというのが全然してこない。ちょっとさみしいのである。
まるで、そこに座る主役は、さみしい人です。とわざわざ言ってしまいそうなくらいに。ぽつんとしている。

全体の構図は、中央に向かって両端から注ぎ込むようにラインが下がっているので、最初は中央を目立たせようと考えていたのだろうと思う。

そこに、象徴的な、踊るような華やかな2,3輪の花が描き込まれていてもおかしくない。

何かが起こってしまい、変更せざるを得なくなったのだろうか?

今は実用ではなく、もっぱら観賞用になった屏風だから良いが、
当時は実用向きではないので、依頼主からは難色を示されたかもしれない。そんな可能性もある。
この侘しい葉のみの中央部を、わざわざ好む依頼主が、金屏風を仕立てるのだろうか?

何はともあれ、結果的に全体の構成を最優先にして、作品をまとてあげた光琳の芸術家らしさは大胆で、驚かされる。当時は大変に珍しい、個性派だったろう。

もう一点、夏草図屏風も出ていた。
やはり、中央にタチアオイが華やかに描かれている。白い花は、盛り上げ胡粉で、彫刻家のように丁寧に繊細に表現されている。
紅白がめでたさを表す風習が当時もすでにあったのかどうか定かではないが、かなり意識して色彩の効果を狙っている。

ところが、この作品中で一番目を引くのは、なんといっても白牡丹。画面右上の2つの大輪の白牡丹の、胡粉と金箔と墨の表情が、力強い。この力強い白牡丹に、光琳の作家個人の個性とか魅力が、隠しきれないで現れている。

実用品としては、役に立たない屏風だが、光琳ほどの画家なら、個人の魅力も相俟って、黙認されたのだろうか。

この、どこか不器用な跡をのこす光琳。
狩野派の屏風だと、こういった危うさがない。大きな工房で、プライドも高いためなのだろうか。光琳ほどに個人の個性の魅力まで漂ってきたりはしない。狩野派の作品は安定感があって、失敗はない。用途もなすし、絵もゆるぎない。納品した先で依頼主にすんなり受け渡してきた感じがする。
「まあ、光琳さんなら、いいか。」と言われたりしていたのかもな、という想像はしない。

社会があって、職業画家の仕事があって、技術があって、作家の個性があり、その次に作家の人生がある。
狩野派はその順番からはみ出ない。
光琳は、人生があって個性が輝いている。技術も着想も天才級だ。
人物の輝きが、仕事も社会も吞み込んでいる。社会からはみ出していた跡を、今なお残し続けている。

そして、まだまだ今の人間を魅了し続けているのは、絵画だけではなく、光琳という人そのものなのだと思う。私達は、まず光琳という人物に出会っている。その次に華麗な画業を見ている。









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