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私は泣ける場所をさがしていた

私は、あの日、泣ける場所をさがしていた。

月曜日の夕方5時半過ぎ。
仕事が終わり駅に向かう人たちの中で、とぼとぼと自分の足元を見ながら私は歩いていた。
手には、小さな黒いバッグと深緑色の紙袋のほかに、ぬるい350mlの缶ビールとお茶が入った小さなビニール袋を持っていた。
ビニール袋が指に食い込んで、やけに重く感じた。
飲み物が揺れて、カサカサとビニールがこすれる音がした。

夏至を少し過ぎた、梅雨の合間のよく晴れた夕方は、大きな建物の間から強くまぶしい西日があたり、喪服の中で私の汗が流れた。

私は、このまままっすぐ家に帰りたくなかった。

知り合いのBarに行ってみようか。(平日の早い時間だから、喪服でも一杯くらいなら・・・。)
だけど、私はあまりお酒が強くない。
こんなに汗をかきながら空腹で酒を飲んだら、具合が悪くなるどころか倒れてしまうかもしれない。

じゃあ、カフェにするか?
いや、カフェでお茶を飲む気分じゃない。

私は交差点の大きな居酒屋の看板の横に立ち止まり、どこにいったらいいのかを考えた。
どこだったら、彼女のことを思い浮かべ、ひとり静かに泣けるのかを考えた。

西日が強くて、また汗が流れた。
今日は日傘を持っていない。
私は、泣ける場所をさがしていた。

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彼女とは、同じ職場で働いていた。
病気がみつかって倒れたときも、復職した後も、彼女はいつも優しい笑顔で仕事をしていた。
私はいつも彼女に甘え、彼女は私のたわいもない話に、いつも微笑みながらつき合ってくれた。
気働きができる、謙虚な人だった。

体調が万全ではないとわかっていたけれど、まだまだ一緒に仕事ができると思っていた。
それなのに、彼女はあっけなく旅立ってしまった。
数日前まで一緒に働いていたのに。

最期に彼女とかわした言葉はなんだったろう。
最期に彼女を見たのはどこだったろう。

先に仕事から上がる彼女の顔をきちんと見て、「おつかれさまでした。」と言えればよかった。
私は振り向きざまに、歩いていく彼女の横顔をさっと見ながらあいさつをしただけだった。
まさか、あれが最期になるとは思わなかったから。

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結局、行くあてのない私はまっすぐ家に帰った。
喪服を脱ぎ、シャワーをあび、部屋着に着替え、予約機能で電気調理鍋が作ってくれたチキンのトマト煮を、子どもと一緒に食べた。
ベランダの窓から、日が傾いていく様子が見えた。
今からでも出かけてしまおうか・・・、
そう思ったとき、「早かったね。」と少し驚いた声が玄関から聞こえた。
夫が帰ってきた。
今日はどこかに寄るかもしれないから夜(ごはん)はよろしくと、今朝、言ってあった。

私は、布製の軽いキャンプいすをベランダに運び、
お気に入りのシードルをボダムのグラスに注いで、
家族に背を向ける形で、いすに包まれるように深く座った。
夕日が雲の間に沈み、空がオレンジから紫、群青色に変わっていった。
私の好きな時間。昼から夜に変わる時間。
雲は刻々と形を変えながら流れていった。
時折、きらきらと光る飛行機が、空に線を引いていった。

私は彼女のことを想って泣いた。
私はひとりベランダで、彼女のことを想って泣いた。
私は、泣ける場所をさがしていた。