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私の想うアート : about art

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20世紀までは「芸術」、21世紀には「アート」と呼ばれて汎用化しているARTについて、私なりの考えを伝えます
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記事一覧

異質の世界が混在する空間に魅せられて ~ 錯視的に拡がる多層空間を描くアーティストたち

創作を開始した2006年~2010年までの初期作品づくりに影響のあった画家については、前回の記事「オリジナル、それとも模倣、・・」で、すでに述べました。 それで今回は、2011年以降の作品制作に何か決定的な影響があったと思えるアーティスト(表現者)たちの作品を取り上げます。 西洋人の古典絵画が多かった前回と違って、現代日本のアーティストをお二人、まず紹介します。 建石修志:皮膚感覚に伝播する錯視的空間の拡がり この方の作品を初めて目にしたのは高校生の時で、本屋で立ち読み

ワタシノ想フ Eros and Ecstasy ~ 2つの美術書を比較しながら

エロスと性愛的欲望は異なるもの この世を生きていくということには、どうしても避けることのできない「ある問題」が解決されることなくあり続けていますが、自分独りの考えで解決することではないので、普段はそのことをあまり意識しないようにしているかもしれません。 その問題とは、広くは「人間関係」であり、具体的には「異性や同性との関係」ということになります。 私は男性である、ということだけが理由にはならないのですが、私にとってのエロスの対象は「女性的なるもの」なのです。もちろん、実

“ どこでもアート ” ではない ART を求めて ~ ワタシノ想フ宇宙

あなたはどんなアートを求めていますか 私は、2011年より2017年まで( コロナ禍で中断 )、8つの県にある11の公立美術館で個展を開催してきました。 ですから私には、作り手側としてのアート観があります。と同時に、アートについて何かを語る際には、作り手だけでなく受け手側にとっても大事なことがあると考えています。 それは、「あなたにとってアートとは何ですか、どんなアートを求めているのですか」を、その人なりにつかんでおくことだと思うのです。 そういうわけで、以下に、私が求め

また別の光景を求めて ~ 切り貼りコラージュではなく、合成加工して変容させるフォトモンタージュで創る世界観

「フォトショップって聞いたことはあるけど、どういうものなのですか?」「フォトショップ・ソフトはあるのですけど、使い方がわからなくてね」 個展会場では、以上のような質問をよく受けました。 最初のころは、会場内に「作りかた手順」の簡略図のようなパネルを掲げていました。 そこで今回は、特に初心者の方にイメージしやすいように、パソコン画面を使った「制作手順」を示してみます。ただ、ソフトの取り扱い説明ではなく、創作の発想中心です。 photoshop の基本機能だけ使う つい数年

存在の粉砕か、至高の法悦か ~ アート思考は一時休止して

現代アートの元祖たち、現代美術展の感想、キャプションは学習指導か、などに触れながら自分のアート観を伝えます 現代アートの元祖たち ~ デュシャン・ケージ、そして・・ こと現代美術に限定しての記事を閲覧すると(美術品売買業者のHPも含め)、マルセル・デュシャンの1917年発表の作品「泉」は元祖・現代アートとして位置づけている内容が多いです。 デュシャンは古典絵画から20世紀初頭まで連綿と続く西洋絵画の伝統を、目で見て愉しむだけの「網膜的絵画」だと一刀両断し、その代わりに、脳

さようなら、ミラーレス

フィルムからデジタルへ 私は1990年代半ばまでは、NIKONの一眼レフ・フィルムカメラを使っていましたが、2000年代に入ると、瞬く間にデジタル機器一色の世の中になっていました。 初めて買ったデジタル一眼レフは、PENTAXのKシリーズ。どっしりした重みとフィット感が気に入っていましたが、フォーカスが曖昧で合焦点しにくいのは難点でした。 2010年以降は、PANASONIC や OLYMPUS のデジタル・ミラーレスカメラの軽さと小ささに魅了され、一眼レフは重すぎ大き過ぎ

Photoshopが世に出る前に、すでにジェリー・ユルズマンがいた

私の師は J・ユルズマン ~ フォトモンタージュの巨匠 80年代は、まだフィルムカメラ全盛時代で、中古の一眼レフカメラで気の向くままに主に自然や建物を撮っていました。やがて就職し、カメラや芸術とは全く無縁の日々が続きました。 90年代のある日のこと、何かの美術雑誌で目にして強い興味をひかれたのが、Jerry Uelsmann ジェリー・ユルズマン というアメリカの写真家の以下のような合成写真でした。 私はこれを見て強烈な影響を受け、自分もこのような作品を創りたいと思いまし

自分が溶けて、世界と一体化してゆく・・・

諸星大二郎、ダリ、スティーブンス、タルコフスキー、バッドの描く幻視空間への誘い 養老孟司「世界と自分が一体化する」 以前に読んだ、解剖学教授・養老孟司著「自分の壁」第一章「自分は矢印に過ぎない」に面白い部分がありました。そこを少し要約してみます; 本文ではそのあとに、人間の脳つまり意識が、「ここからここまでが自分だ」と自分の範囲を決めて線引きし、範囲内のものは「えこひいき」して、それからはみ出たものに対してはマイナスの感情を抱くと説明が続きますが、中でも私は、「世界と自