我が家の保活記録⑦
息子にはできれば一歳までに保育園に通って欲しい、と思っていました。
理由はいくつかあります。
育休明けのご家庭の多くが狙うのは一歳児クラスです。
私が求職中である我が家は、わずかながら入園確率が高い0歳児クラスを狙うべきだ、と言う現実的な視点がまず1つ目。
そして、もし0歳時点で入園出来なかったら?何度かシミュレーションしてみました。
その場合、年度途中の空きを探しつつ年度初月の入園を狙うことになります。
しかし、育休明けのご家庭や既に複数人子供がいるご家庭に比べて我が家のポイントは低い、という事実があります。
ひょっとしたら、幼稚園への転園で空きがでやすい三歳まで。
もしかしたら、四歳、五歳まで…と言うのは流石に考え過ぎですが、もし、何年も入園出来なかった場合。
我が家で仕事をしているのは夫だけになりますから
息子は、非常に長い時間、私と二人きりで過ごすことになります。
私にできるでしょうか。
何年も、毎日毎日、子の成長に適し楽しめることを考え続けて、実践し続けて。
そんなこと、私だけでできるでしょうか。
コロナ禍は、短くとももう4、5年前続くと私は考えています。
兄弟も両親も、義兄弟も義両親も、皆遠方です。
一人で、毎日、何年も。
それは、私にはできないことだと判断しました。
私達とは違う誰かと意見交換をしたい。
そして、その誰かと、責任感と喜びを分け合いながら、育児をしたい。
そう思ったことが、2つ目の理由です。
保育園でなくても良いと考える方もいるかもしれません。
公園に行けば良いとか、親子教室があるとか、SNSを使うとか、そういう選択肢があることは知っています。
そして、なるべく密は避けねばなりません。
もちろん、保育園に通わせることで密が避けられる訳ではありません、むしろその逆です。
ですが、保育園で息子と触れ合うのは概ねいつも同じ人です。
園児と先生。
そして先生方は、保育の教育を受けた上に現場で様々な子どもを実際に相手にしています。
いつどんな人がやってくるか分からない公園や親子教室と、そこが大きく異なります。
同じ密でも保育園の方が安心して息子を過ごさせられる、と私は思ったのです。
これが、3つ目の理由です。
感染状況が落ち着いていた頃、一度だけ公民館の無料の親子教室に行ってみたことがあります。
子の数でマウントを取ってきた参加者から「今からうちに来ない?」と誘われたり
運営の方が他の参加者に勝手に我が家の大まかな住所を喋ったり
公立保育園の栄養士さんの離乳食に関する公演の内容が差別的で根拠に欠けるものだったりしました。
コロナ感染以上のリスクがはびこる場所だと感じました。
もう二度と行きたくないし、二度と行っていません。
そしてSNSですが、そこでマウントを取られた精神的に追い詰められたことは以前のnoteに書いた通りです。
表面的な意見交換はできても、切羽詰まったリアルタイムのお話は怖くてできません。
保育園の話をした時、義母や義姉に
「まだこんなに小さいのにかわいそうね」
と言われました。
ところが私には早くに保育園に通うことがかわいそう、という感性が備わっていません。
なので、義母や義姉の発した言葉に傷付くことができませんでした。
とは言え家庭保育に重きを置いている義母や義姉が間違いだとも思っていません。
私自身、五歳まで家庭保育をされていた子供でしたから。
家畜や草花、イマジナリーフレンドを友とする幼少期は、とても楽しく幸せな日々でした。
子どもだろうと大人だろうと、幸福な気持ちになれない場所で過ごすことは確かに『かわいそう』かもしれません。
つまり本人が幸福であれば、幼少期を過ごす場所は、家庭でも保育園でも幼稚園でも、どこでも構わないのです。
少なくとも私はそういう認識です。
私の幼少期は楽しく幸せだったと書きました。
私は人間より、空想や架空の友人の方が好きでした。
しかし息子も同じ感性なのか?何を『幸福』と定義する人間なのか?
それは、今はまだ分からないことです。
だから、幼い息子の友人の『選択肢の1つ』に、早い段階で『同い年の人間』がいる生活を送らせたいと思いました。
これが、4つ目の理由です。
そして私は、子育て世帯を優遇せよと乱暴に主張をする人種が好きではありません。
(主張する人達が嫌いなのではありません、『乱暴に』主張する人達が嫌いなのです、念の為。)
絶対にああいう風にはなりたくない。
そうならない為に『母親としての私』とは別に、私だけの『私』の部分を、日々途切れず確立させておく必要があるのではないかと考えました。
紆余曲折ありましたが、私を形作る『私』の中に必要不可欠なのは『好きな仕事をやること』なのです。
どうしても働きたい。
10年以上続けた仕事、高齢者施設で介護の仕事をしたい。
これが5つ目の理由です。
息子を早めに保育園に通わせたいと思った理由は以上です。
では、最後の保育園見学をした時のことを書きます。
とは言っても、大して書くことは無いのですが。
Ⓐ待機人数0人の園(家から遠め)(私立)
Ⓑ待機人数0人の園(家から近め)(公立)
Ⓒ空き二枠あった園(家から遠め)(私立)
Ⓑの保育園は買い物に行く時に通る道の途中にあり、園庭の賑やかな様子も知っていたので、ここに空きが出そうなら…と、保活前は思っていました。
ですが、見学した日は私の他にもう一人見学者がいた上、
確認した所、本年度空きが出る予定も見込めなさそうとのことでした。
更に言えば、このnoteで書いた、差別的で根拠に欠ける離乳食公演をしたのが、Ⓑの保育園の栄養士の方だったのです。
結果、申込用紙の希望順は最終的に
Ⓐ、Ⓒ、Ⓑ
となりました。
見学する前にぼんやりとイメージしていたのは
一番近い保育園、Ⓒ、Ⓑ、Ⓐの順でしたから、かなりの変動です。
その時々の空き状況、役所からの情報、実際自分の目で見ての気付きが、順位に影響しました。
コロナ禍の保活、保育園見学ということで不安も制限もありました。
もし自治体のルールに見学必須がなければ見学には行かなかったかも知れません。
でも、見学しなければ得られなかった情報もあるので、見学して良かったと思っています。
令和3年秋。
息子は無事、第一希望の園に決まりました。
続きは次回。尚、保活に関する話は、次回で最後の予定です。
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