コロナ禍に思うこと

「もう逃げられないんだな」と私が悟ったのは、コロナ禍、という言葉すらまだなかった2020年2月の末。
日本全国の小中学校の一斉休校が要請され、一人で留守番が難しい年齢のお子さんがいる同僚が途方に暮れている様子を見た時だった。
その時私は何となく、昔読んだ物語を思い出した。
第一次世界大戦の頃を舞台に書かれた物語である。
誤解のないよう先に書いておくが、私はコロナ禍と戦争を結び付ける思想の持ち主ではない。
タイトルや細かいネタバレは伏せるが、あらすじは概ね下記のような内容である。

『外国の皇太子暗殺の新聞記事に対して、当初誰もが自分達は無関係だと感じた。
だがその数日後、歴史に残る争いが始まった。
それでも多くの人々はまだ、長くは続かない、クリスマスまでには終わるさ…と捉えていた。
実際は終わるまでに四回クリスマスを迎えねばならなかったのだが。
たった15歳の少女である主人公は、時に感情に押し潰されながらも歯を食いしばり、懸命に日々の務めを果たしながら、愛する者達の帰りを待つ。』

私がこの物語を思い出した理由は2つだ。
1つは「無関係だ」「どうせ大したことない」と捉えてしまう心の弱さ、素人知識による見立ての甘さ。
もう1つは、どんなに辛くても、果たすべき務めがあるということ。

一斉休校の知らせを聞いた時、私は自分の醜い部分と向き合わされた。
外国の感染症だ、船があるのはよその県だ、すぐ終わる、きっと誰かが何とかしてくれる…どこかでそう思っていたのだ。
何故なら、そう思いたかったから。根拠もへったくれもない。
私に関係のないことであれば考えなくて済むし、対処もしなくて済む。
今までと何も変わらない生活を送れる。
だけど、2月末のあの日のニュースで、親しい人達の生活に大きな影響が出た。
そこで私はやっと当事者としての自覚を持ったのだ。
振り返ると、なんて自分本位なのだろう、浅はかなのだろうと思う。

果たすべき務め。というと偉大なことのように感じる。
前述した物語の主人公は、孤児を育てたりボランティア団体を運営したりといった大掛かりなこともやったが
彼女が日々絶やさず果たした務めは、家事、日記、正確な情報収集。そして何より、笑うこと。
コロナ禍で何が出来るのかと問われた時、私は世間に貢献できることは何もない。
兄弟達のように医療の現場で働くことも、時代に適した、または逆手にとった新しい事業を起こすこともしていない。
でも私にとって一番大切なことは、特別なことをやったかどうかではなく
日々正しく情報収集をし、それを感染対策に繋げ、時々は笑顔が浮かべられるような穏やかな日常を維持することだ。

そして、笑うことは難しい。
笑いの大切さを述べたばかりだが、その難しさを痛感することばかり次々起こった。
マスクは高値で転売され、次の品薄は紙類とデマが流れ、有名人が亡くなり…そんな日々ではとても、笑顔を浮かべるどころではなかった。
当時私はクリニックに事務として勤務していた。
毎日100人前後来院していたのに、10人、20人しか来院しない日もあった。
勤務先もそうだったが、世間全体に異様な空気が流れているのを感じていた。

2020年2月末の私は、ただぼんやりと悟っただけだった。
そこからコロナ禍に向き合うようになったのは、「笑わなければ」と思えるようになったのは、その年の秋頃のことだった。
そして、その後の私はコロナ禍という現実を受け入れられているだろうか?自信はない。
けれど、コロナ禍という、この、どうしようもない、逃げられない現実を受け入れる為、私は冒頭で『思い出した』と書いた物語について、芯から考えたり、読み返したりしている。

クリスマスまでには、春までには、期待して気持ちを奮い立たせては叶わず肩を落とし、また顔を上げる物語の中の人達。
私は、こういうぬか喜びのせいで気力を失う自分を見出したので
何1つ根拠はないけれど、心の安定及び不測の事態に正しく対処する心づもりの為、コロナ禍は少なくともあと5年は続くと仮定し生きることにした。

戦いに赴く人、そうでない人、見送る人…それぞれの立場から好き勝手に批評する物語の中の人達。
私は、他人への批評を無責任に口に出すことを控えようと決めた。
密になる場所へ行った人を頭ごなしに否定しないとか
街中でノーマスクの人を見かけても、やむを得ない事情があるのだろうと心の中で呟く、とか。

今日もまた物語を読み直していた。
お互いの立場や考え方の食い違いから主人公が親友を失った場面を読みながら
ワクチンを接種すると決めた私に「私は絶対に嫌だ」と言った、親友だった子のことを静かに考えた。

コロナ禍が終われば元の暮らしに…という言葉を時々聞く。
私個人としては、二度と元の暮らしには戻れないと思っている。
きっとこの先も、夏の暑い日にマスクをして過ごす人を見かけるだろう。
人を招いたら真っ先に手洗いを勧めるし、招かれたらまず手を洗う場所を訊ねるだろう。
店や施設の出入口のアルコール消毒液もなくならない。
目に見えづらい変化として、私と元親友はこの先もずっと、疎遠のままだろう。
前と同じなど有り得ない。あるはずがないのだ。

でも私はそれを、悲しいとか不幸だとか、戻りたいとか、思わないことにしている。努めてそうしている。
それは、お陰で成長できたとか、そういう的はずれなポジティブさに変換するということでなく
ただ、今この時代に生きている私が、皆が、コロナ禍を生きているということを、
感情に左右されず、当たり前のことだとして認識できるようになりたいのだ。

趣味の場に行けないこと、帰省できないこと、友と会うのがはばかられること、親友を失ったこと。
人に話せば「かわいそう」だと軽い口調で言われるであろうこと全てが、私にとっては当たり前だ。
かわいそうなどと見下されるいわれは無い。

私は、日々の当たり前にきちんと向き合って、コロナ禍を経なかった時よりも良い未来を目指してゆくしかないと思っている。
時々うんざりする時もあるけど、そういう時は信頼している人に電話をかけたり、しっかり食事と睡眠を取ったりする。
そして私はまた務めを果たしてゆく。
『あの頃』に逃げることはできないから、逃げ場にしたくないから
コロナ禍をギチギチに踏み潰して、足場を作って進んでゆく。

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