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かっぴらいた無情な瞳孔


そうよね。そうだよね。

現在は過去の累積でしかないけれど,過去に縛られる必要もないよねと思う。だって,ひとって変わって行くものでしょ。そうだよね?そうだよね。

こうやりたい,という意志があって,それをなんらかで表して,自分で満足して,たまーに他者に評される。そんな形で社会との接点をつくっていく。現在は意志と表象の世界だ。

現在は過去の累積でしかない。だけど,意志と表象は,過去に縛れる必要も義理も,責務もない。素直な意志と素直な表象が,人間味があって面白い。


私生活の近況でも書いておこう。

いろいろな側面で選択と集中を得ようと思い,直近は,捨てるべきものの選別に注力した。無駄な負債を洗い出し,無意味な資産を買い換えるなどした。特に無駄な肩書きや得るものもない人間関係等は無慈悲に切り捨てていった。残ったのは,シャープなものだった。

その上で,意志はなんだろうと,眠りながら考えた。東京だったり,シンガポール市内だったり,ソウルだったり,上海だったり,北京だったり,京都だったり,軽井沢だったりしたが,寝てしまえば大抵は同じ世界に存在できた。

今後は表象していきたい。「あなたのことをどう思っているか,明確にすることが互いのためだよね,それが健全な人間関係なのよ」と怒られた。「あんたは曖昧性が好きかもしれないけれど,安心できないのは,誰かにとっては耐えられないの」,はあ,ごもっとも。自分勝手だった。と猛省した。

あいも変わらず,独りで呑み歩いたり,連れ回されたり,連れ回したりしているが,少しサプライズがないのかも。これはある種の呪いみたいなもので,釈然としない,曖昧な願いみたいなものなんだろうと思う。想像を超えないのは,論理があるとかないとかではなく,「んま,よく考えれば,あり得る」と人文科学っぽい事後的な理解にすぎないのかも。じゃあどうしたら良いのか,何に私は満足するんだろう。

仕事はといえば,変わり映えのない。

極めてシャープなものを維持している。

定型的な作業をこなしつつも,不定型な課題解決を実行して,カネを得ている。いよいよ,集団の組成が目下の課題で,目を見て話して,心を覗き込むなどしている。
仕事のことって,特に言うこともないもんだ。んまあ,私の中でここの優先度が高くないってことなのかも。


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