3.11東日本大震災、当時14歳だった僕の経験
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3.11東日本大震災、当時14歳だった僕の経験

Riku Obara

2011.3.11東日本大震災が発生してから、9年間が経過致しました。僕は当時中学2年生で、あの規模の震災を現地で経験致しました。そこで当時の状況、僕が震災から学んだ経験を基にお話していきます。

 学校から帰宅した僕は、母と兄とコタツの中でいつも通りテレビを見ていました。すると、突然揺れが始まり、地震が起こりました。僕は学校で教わったことが染み付いていたのか、咄嗟にコタツの下に潜りました。ものの数秒で揺れが強くなり、母が「縦揺れだから、じっとしてて」と怒鳴りました。案の定、揺れは収まることなく強くなっていきました。気付いた頃には部屋の中は家具、雑貨、食器やグラスの破片まみれに。

 何が起こったのか分からなくなった僕は、ただ呆然と部屋中を眺めていました。それから淡々と部屋を母と兄と掃除をしました。水が出なくなった水道、電気の付かなくなった電球、ガスが通らないコンロを目の当たりにし、お風呂も入れず、明かりのない部屋で、数少ないご飯を食べ、会話の少なくなった家族と生活していました。それからは、その後の生活を考え、手分けをし、コンビニやスーパーに食料、水を求めに足を運びました。何時間も並び、やっと購入できた資源。近くの親戚や友人同士、協力しながら大切に大切に扱いました。

 その後、家族6人全員の安否は取れましたが、地割れした道路や歩道、飛び出たマンホール、横たわる木々、半壊したお家があり、以前とは変わり果てた姿に、震災に襲われた町はどこか寂しさを感じていました。僕が住んでいた地域は仙台市であったので、幸い津波は来なかったのですが、現地の人のことを思うと、当時の辛さは計り知れないものであると思いました。

 今当たり前のように生活していること、電気が付く、水が出る、ガスが使える、電車が使える、携帯が使える、友人に会えること、家族に会えること、何気ないことではありますが、そういったことへの有り難さも同時に知りました。感謝を伝えることは、簡単かもしれないが、皆が皆できている訳では無い。ただこのように当たり前のように1年が過ぎ、3.11が来る。普段は僕も忘れがちであるが、その度に当時のことを思い出し、自分の胸に刻み込む。改めて考えさせられる良いきっかけだと思います。

 未だに復興中の町も沢山あります。辛くても逃げ出さず、変わり果てた生活と向き合っている方々も今でも沢山います。僕は将来のキャリア像の中に勿論経営者があって、お金の使い道の中にそういった方々へのご支援も、たとえお金という形ではなくても、していきたいと思っております。この経験から沢山のことを知り、沢山の感謝を感じながら、生活するようになりました。当たり前のように訪れる明日を、何気なく過ごさない、きっかけを神様は与えてくれました。

そんな僕は今日も生きています。

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Riku Obara
社会人3年目|DtoC,Media,Advertising,Casting,Marketing|新卒ITベンチャーを7ヶ月で退職→SNSマーケベンチャー→東証一部上場グループ企業となる→社内MVP表彰→1年と2ヶ月で退職→起業