自分史第3弾~4歳から問題児本領発揮~

僕が入院生活を終え、自宅での生活をするためには、母の努力がありました。今はNGらしいですが、当時の母は点滴の仕方といったような処置を看護師さんから学んでいました。今でも母は、病院にいき注射の処置を見てると、「あの看護師さんよりも私のほうがうまいわ~。教えてあげようかしら」ということを言います。処置を学んだ母の努力のおかげもあり、僕は月2・3回のペースで鹿児島大学病院への通院で退院を許されました。当時の僕は、そんなことも知らないので呑気に「遊べる」ということだけ考えていました。
 自宅へ戻って、一番やった遊びは当時の実家の庭で泥遊びや近所の友達や従妹たちとの格闘ごっこをしていました。鼻に管が入っていようが関係ありませんでした。僕は、「あれ、やりたい。あれ、やる」と言いだしたらやるまで諦めずに駄々をこねていました。だから、母や父に当時から心配をかけまくりの問題児でした。この当時の事件で、家族内で話題に上がる事件があります。

とある日、台所で洗い物をしている母に4歳の僕がわがままを言い出しました。
僕:「川で水遊びしたい」
母:「どうやって、遊ぶの?」
僕:「~ちゃんや~君と一緒に川に行って水を掛け合いとかして遊ぶの」
→当時も今も泳げない僕です。流された時のリスクとか無視しています
母:「それはね、鼻に管があるからまだ厳しいかな・・・」
僕:「えー、じゃ鼻の管いらない」
→鼻の管に手をかけています。というより抜いていました(笑)
母:「鼻の管とったら、死んじゃうよ?それに川は石がごろごろしているから移動が難しいよ」
僕:「死んじゃう~。どうしよう??死にたくない~」
→管を抜き、死ぬという恐怖からギャン泣き。母が異変に気付き後ろをむいた時に大惨事が発生。
母:「大ちゃん、動かないで。とりあえず入れるから待って!」
→とりあえず、入れる。この時が母にとっての初めての鼻管をいれる行為。で、すぐに鹿児島大学病院に向かう。
~移動中の車内での会話~
僕:「僕って死んじゃうの?川遊びとかもうできない?」
→まだ、川遊びのこと言ってます・・・。
母:「大丈夫よ。入れたから」
僕:「じゃ、川遊びできる?」
母:「病院に行って、先生に相談してからね」
僕:「やったー。」
→死ぬかもしれない恐怖を忘れる。

病院についた僕らは見て、先生は「鼻にちゃんと管入ってるよ。安心して。それよりもお母さん、初めてでも鼻に管を入れるなんてすごいね。本当にうちのスタッフとしても十分に働けるよ」と言われました。これが、僕たちの家族内で話題に上がる「大輔の鼻管抜いた事件」です。

4歳児ながらに上記のような問題を結構頻繁に起こしていました。最初のうちだけ病院に連れていかれていました。そのうち、慣れてきた母は自分で処置をして、定期健診時に正式な処置をしてもらう流れになっていきました。4歳児にして、自分のやりたいことのためだったらなんでもする精神を持って果敢に挑戦した日々でした。(川遊びも実際に事件の後にしました)
病院から自宅へ帰った一年間はこんな感じで過ごしていきました。5歳児になったときには、生活にも慣れたので地元にある障害児が通う保育園「ひかり園」に通うことになりました。その話は、また明日。

今日も読んでくださり、ありがとうございました。
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