京都駅伝2日目__190314_0070

天皇盃第30回全国車いす駅伝大会レポート

こんばんは。先日、駅伝に出場するために京都に行ってきました。今日は、そのレポートを書いていきます。

今回は、3月10日に開催される「天皇盃第30回全国車いす駅伝大会」に出場するために京都に行ってきました。この大会は、5人1チームで5区間21.3キロを中継して走り切る大会です。また、都道府県毎や地区ごとにチームを組んで出場し競います。国内で唯一の車椅子を利用した駅伝ということでパラリンピックとはまた違った面白さがあります。今年は、第30回開催としての記念の大会でした。そのため、今年から「天皇盃」の名がついた大会になりました。
 宮崎県としてのチーム参加が過去3年間ほど遠ざかっています。今年も宮崎県単独でのチーム参加はできませんでした。今年は、九州ブロックとして長崎県との合同チームとして参加してきました。宮崎から選手2名+スタッフ2名で大会に出場しました。
 大会は10日にありますが、前日9日から移動しての大会に向けて備えます。9日午後4時までには大会運営側が用意してくれた宿泊地に到着しなければなりません。前日に監督会議があり、大会における注意事項やルールについて説明があります。そこに、監督がいなければ大会への出場が認められないためです。監督は、宮崎のスタッフがしていたので午後4時までに到着しなければなりません。そこで9日は、朝7時の便で飛行機に乗り大阪伊丹空港に向かいました。午後4時までに到着すれば大丈夫なのに、朝7時の便で出るのも訳があります。今回は、選手が2名宮崎から出発するため競技用車椅子が2台を積み込んで運んでもらわなければなりません。積み込むためには、飛行機の大きさも関係します。2台積み込めるだけの飛行機の大きさと京都への到着時刻を考えた時に朝7時の便になりました。宮崎チームは飛行機に無事に乗り込み、伊丹空港に到着しました。空港に到着後、京都に向かうため大会スタッフと到着ロビーで落ち合います。そこから、大会運営側が用意してくれたバスに乗り込み京都に向かいます。バスは、バリアフリー対応でした。

また、競技用車椅子だけを積み込むトラックも到着しています。今回は、熊本チームと宮城チームと宮崎チームが同じバスに乗り京都へ向かいました。熊本チームは、AチームとBチームの2チームにて来ていたため大人数となりました。バスの中では、バスガイドさんが大阪や京都について説明をしてくれました。その他は、到着まで各々の時間を過ごしています。どこも朝が早く出てきていたので寝てる人が多かったような気がします。1時間程度バスに揺られて、「グランドプリンスホテル京都」に到着しました。到着後は、受付をしたのちにチェックインができるまで昼食を食べたりして時間を過ごしました。チェックイン後にホテルの部屋割りを行い、各自部屋に移動しました。部屋に移動後は、荷物の整理及び部屋のバリアフリーをチェックをしました。例年、同ホテルに大会の度に泊まらせていただいています。ですが、2年前に改修工事を行ったらしくお風呂の使いがって悪くなっていました。トイレの便器を少し大きくしたために、湯船の傍まで車椅子を止めることが難しくなっていました。障がいが重い方が利用するのは厳しかったです。私以外の宮崎県チームの選手も使用できませんでした。旅の疲れをとるために必要な湯船を少しの改修で使用ができない現状があることを改め気づかされました。

また、ここまでの間に長崎チームと合流しました。合流後に走行区間を決めました。私は、3区を任せられました。3区は、2.4キロの登りがメインのコースです。私は、登りが得意な方なので、適任ということで任されました。区間が決まったことでより明日に気持ちが向きました。

 開会式が同ホテル内で行われました。各チームキャプテンが入場してチームに合流して開会式が行われました。開会式には高円宮妃久子様が参列し、天皇盃にふさわしい開会式が行われました。その後、京都府知事や京都市長のあいさつなどがあり選手代表挨拶も済ませて大会に向けての気合が高まっていくのを感じました。開会式終了した後は、交歓会として料理が振舞われました。また、交歓会ではチームごとにテーブルにつきチーム内の親睦も深めました。高円宮妃久子様が各テーブルを回れて、お声をかけていただく機会がありました。九州ブロックチームテーブルにも来られて、写真を撮ってくださいました。交歓会の最後には、豪華賞品の元ビンゴゲームがありました。交歓会では、チームとの親睦を深めながらも明日へむけてエネルギーを溜めていきました。

大会当日は、生憎の雨でした。ですが、事前から天気がわかっていたため選手は各自で準備をしてきていました。私も撥水性の服を上から羽織ることや松ヤニを漕ぐ部分につけたりして準備を行いました。走行区間までは、バスで送迎されました。送迎時には、日常用車椅子は、ボランティアに預けて乗り込みました。日常用車椅子については、先にゴールである西京極陸上競技場に送られます。それまでは、競技用車いすもしくは病院等で見かける車椅子を活用しての移動になります。
区間についたら、アップ会場が用意されているのでアップを行います。私は、アップ中にアクシデントがありました。競技用車いすの前輪がパンクをしてしまいました。理由は、2つあります。1つ目がタイヤの消耗が激しかったこと。前輪のタイヤは、なかなかパンクしないためあまり変えません。私も1年前ぐらいから変えていませんでした。1つ目に1年前から消耗が蓄積していたことがあります。2つ目に、天候です。雨天時には、パンクが起こりやすい傾向があります。理由は、路面の小さなごみが雨天により浮き上がってきてタイヤがその上を走行するためです。私は、事前にタイヤがぱんくするのではないかと思っていました。だから、パンクをしても冷静に対応をしました。アップ会場には、メンテナンスのスタッフが配置されていました。スタッフにパンクしたことを告げてパンクを直してもらいました。ただ、時間が迫ってきていたので若干は焦りました。
 2区の方が3区への中継所100m前になったら、チーム名が呼ばれてスタートに並びます。中継は、次走者の体もしくは競技用車いすに触れた中継完了として満たされます。そこで、右手を横に伸ばして2区の方が入ってくるのを待っていました。私は、繰り上げスタートにもならずに2区から私に無事に中継完了しました。雨天でしたが、準備のおかげで滑らないで漕ぐことができました。また、羽織のおかげで走っている最中や中継所で寒くもありませんでした。そのおかげで、4人を抜くことができました。個人区間順位は、5位という結果を出すことができました。また、チームとしても全チーム25チーム中14位で走ることができました。(図4)優勝は、福岡Aチームでした。大会新を残し、5区間中、4区間を福岡Aチームの選手が区間賞を獲得するという驚異的な走りで京都駅伝は幕を閉じました。


ドバイから京都まで、結構日がなかったので一旦はしっかり体を休めたいと思います。5月から始まる海外遠征と国内遠征に向けて練習に励みたいと思います。応援ありがとうございました。また、応援よろしくお願いします。


応援よろしくお願いします!!