自分史第6弾~6歳児の大きな決断~
5歳児半から通いだした1年半の保育園生活はあっという間でした。年長組になったときぐらいから、周囲の友達は「来年から小学校だね」と騒ぎ始めました。僕は、この楽しい保育園生活がずっと続くと思っていたので「え?何のこと」って感じでした。僕は、なんとなくこのまま同じように学校も通うんだと思ってました。でも、決断を迫られることになります。それは、支援学校に通うか一般の学校に通うかのどちらを選ぶ権利を得たのです。支援学校に通いだしたら、寮みたいなところで親元を離れての生活を送ることになります。一般の学校に行くことを決めたら、今までの生活と何も変わらないことになります。母と父は、6歳の僕に「自分で選びなさい」と言ってくるのです。僕自身は、悩まないで直感で面白いと思ったほうの支援学校を選びました。6歳児の僕には、親元を離れて生活をするということが嬉しく感じたのを覚えています。理由は、6歳の誕生日に母から告げられた言葉にあります。
「あなた、今日から6歳になったんだから自分でお風呂にはいりなさい」
この言葉は、当時の僕には衝撃的でした。僕にとっては、自分が一人で入ってるところをイメージできません。何も教えられていないことを突然「やれ」と言われたら皆さんはどう思いますか?「えっ?何をどうすればいいの?」という感じになるはずです。当時の僕は、全く同じような状況です。でも、母が言ったからにはやらないといけないと思いだけが僕にはありました。母に聞いても教えてもらえないことはわかっていました。僕は、聞くことは考えずに自分で考えることにしました。考えたのは、3つでした。
①まず、今まで両親にやってもらっていたお風呂でのサポートを思い出す。
②サポート内容を自分でするイメージをする。
③イメージから厳しい点を洗い出し、そこを解決できる能力を発揮もしくは、創る。
考えた僕は、一番難所になるのは湯舟に入るために風呂の縁を跨がないといけないということでした。足は、当時はまだうまく使えない状況だったので普通には跨げないというわかっていました。そこで、作戦を立てました。作戦内容は、以下のようです。
①風呂の縁に腰を掛ける
②片足を手を使って、縁の向こう側に入れる。
③残り片方も同じように入れる。
④そして、体を湯舟に落とす
*当時入っていた風呂のイメージ図を張ったので動作をイメージしていただけたら嬉しいです。
この作戦を考え付いたときには、僕はなんて冴えているんだろうと思いました。でも、僕の体は思った通りに動いてくれませんでした。縁に座り、左足から縁の向こう側に行きました。ですが残りの足を上げた瞬間、上半身がふらつきだしお風呂にダイブしてしまいました。一瞬、何が起こったのかわからず、パニックになりました。そして、パニックになった僕の体は硬直してしまい、水からなかなか上がることができませんでした。お風呂で溺れてしまいました。どうにか、自分で復帰した僕は死んでしまうところだったと泣きました。逆に上がるときは、どうだったかというと普通に何事もなく上がれました。
上がった僕は、「危うく死ぬとこだった」と泣きました。それを母は、何事かとそりゃ聞いてきました。で、事の顛末を話しました。そう、ここまでは良かった。話したことへの返答は、「はっはっ。お風呂でおぼれるなんて体の使い方がわかってないからよ。どんくさいわね。」とめちゃ爆笑されながら言われました。僕は、この返答を聞いたときに「この人は、鬼か?普通は、子供が死にかけたといったら、ものすごく心配して優しい声掛けをしてくれのではないか?」と思いました。その思いを知らずに、母は笑っています。僕は、「このやろう!人が一生懸命考えてやった失敗をここまで笑うのか。くそ。見返してやる」と次第に怒りを覚えました。この日は、これで終わりました。
次の日になり、またお風呂に入る時間になりました。この日は、前日の仮説で無事に何事もなく入ることができました。では、またまた次の日は、失敗して頭からダイブしました。そして、4日目は、無事に入れました。5日目になり、成功している原因はなんだろうと考えるようになりました。失敗したときと成功したときの違いはなんだろうと動きをイメージしながら考えました。考えた末に、原因を突き止めました。それは、右足と左足を入れる順番でした。僕は、右足で踏ん張って体を固定していたのです。だから、左足を先に入れ、次に右足を入れると軸がぶれてしまいバランスを崩してしまうことが見えました。見えてきた結果から、右足を先に入れて、次に左足とすると簡単にうまく行きました。結果には、原因がありそこを改善することで成功するという経験を体感することができました。
いい意味では、学ぶ機会になりました。でも、この機会を境に「うちの母は超絶怖し、白状ものだ」という意識になりました。だから、支援学校に通い寮生活にするか・普通の学校に行くかという選択を迫られた時に、即座に寮生活をしたいと答えました。単純に親元離れて生活をするのはかっこいいという気持ちやリハビリを毎日に受けられて楽しそうという気持ちもありました。ですが、一番は母から逃げたかったという気持ちが強かったなと今思い出すと思います。この時の決断が、後々更なる追い込みをかけることになるとはしらない僕は、無事に保育園を卒業して支援学校の生活をするようになりました。
今日は、ここまで。明日から支援学校生活について書きます。
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