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年を取ってからのフラットな関係構築は難しく、ある種の悟りが必要だと考える

今日は肌寒い一日でした。雨も降りましたし、うららかな春の日差しは案外貴重なのかも知れません。

さて、……

以前も書いたことだけど、「中高年になると、ただ黙っているだけで不機嫌に見える」らしい。

オジさんが黙っていると、それだけでムスッと不機嫌に見られがちだから、意識的に笑うようにした方がよいというアドバイスがあった。

言い返したい気持ちもある。でも、私自身がある人と話してみたら意外に気さくな人だと気付く場合もあった。だから、恐らくアドバイス通りなのだろう。私は、そうならないように意識して笑うよう行動しているつもり。

実際のところ男性は、年を取るに連れて横のフラットな付き合いを増やす難易度が高くなってゆく。女性はこの点が上手だと思う。

男性も、昔からそうだというわけではない。子どもの頃は、虫取り網と虫カゴを持って「〇〇君、一緒に遊ぼう!」と言えていたはず。

でも、オジさんになるとそれがすごく難しい。定年後、喫茶店のモーニングと図書館で時間を潰す人が一定数いるそうだけど、彼らの間で会話が盛り上がる例を、寡聞にして知らない。もちろん、皆無ではないのだろうけど。

そうなる理由を考えると、会社人間は会社のヒエラルキーに身を委ねているうちに、人同士の基本的なお付き合い能力を失うのではないか、と思えてしまう。仮説に過ぎないけど、私は有力だと勝手に思う。

実際、会社ではヒエラルキーで立ち居振る舞いが決まることが多い。そして、能力は使わなければ退化する。

この点、商店主さん等の付き合い方を、もっと見習うべきだろう。ただ一度身に付いた習性は、年を取るほどに改めにくいもの。楽を覚えると、修正にはかなりのストレスが掛かる。

オジさんには、それまで背負ってきたキャリアというものもあり、それを一切ないものとしてのお付き合いは難しい。例えば相手が上場企業の役員だった方の場合、そんなの関係ないという気持ちを維持しきれるだろうか。

そう思いつつも、リタイア後までそのような価値感に影響される人生は送りたくないとも思う。つまり、オジさんは自由志向とヒエラルキー安住という極めて矛盾した気持ちを内包している。結果として周囲から「扱いにくい」と見なされて更に孤立していく。

これを乗り越えるには、般若心経を学んで「羯諦羯諦波羅羯諦」(読み:ぎゃーていぎゃーてい はーらーぎゃーてい。意:行こう、行こう、彼岸に行こう)の悟りのような心情を手に入れるより道はないと思っている。

最後に抹香臭い話で失礼。でも、今のままでは無理だと考えている。

お読み頂き、ありがとうございました。


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