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終戦記念日に向けての3週間(2)

今、台風8号がまさに襲来しつつあります。今日中には通過しそうですが、雨音がかなり強いこともあり、皆様におかれては軽く考えることなく被災に備えて下さい。

さて、……

今回は前回の続きである。

事実に基づけば、当時のアメリカは日本の12倍の国力を持っていた。それでも日本が勝てると考えるのは、マトモな思考ではない。

盟友ドイツの勝利に期待し、「日本は神国」思想にすがり、大和魂万能主義に陥った。勝てる根拠が他力本願かつ極めてエモーショナルなものでしかなく、実際に負けた。そういうものに頼ってはいけない典型例である。

でも、日本人はどうもエモーショナルなものにすがりがちである。もちろん、精神や感情を一切否定するつもりはない。でも、それは実力がほぼ互角の場合には意味を持つものの、圧倒的な差を埋めることまではできない。

でも、この点を軽視して米英に宣戦を布告して戦線を拡大、ニッチもサッチも行かなくなったのはご高承の通り。そして、ポツダム宣言が出されるに至った。

この時点で日本が勝てると心底思っていた指導者はさすがにほぼいなかったはずだが、これまで負けたことがないだけに負ける終わり方の検討に本腰を入れられなかった。

その結果、8月6日の広島原爆投下の日を迎えた。ここで初めてそれまでの「一撃を加えてから講和する」といった有利な条件を引き出したい願望が吹き飛び、真剣に「負けるための検討」が始まった。

終戦に向けての経緯は、私が駄文を書き連ねるよりも半藤一利さんの著作「日本のいちばん長い日」をお読み頂くことをお勧めする。この本を読むと、負けて戦争を終わらせることがいかに難しいことだったのかがよく分かる。

どうしても日露戦争と比較してしまうのだけど、ポーツマス講和条約の締結交渉において、ロシアは特に自国に攻め込まれたのでもないし、緒戦の負けは持久戦に持ち込めば挽回できると考えていた。

そのため交渉は長期化、小村寿太郎全権は外務省から「賠償金や領土を取れなくてもよいから講和をするように」とまで言われた。日本にこれ以上の継戦能力がなかったからである。

そういう中で、南樺太だけでも割譲させて講和条約を結んだ小村全権はかなり苦労したはずだが、国力の限界を理解しない国民から強く非難を浴びることとなった。それでも、戦争を「終わらせた」のである。

太平洋戦争は、戦争を終わらせる決意と覚悟を持たずに始められてしまった。それがものすごい悲劇と損害を生み出し、そして終わらせる決意と覚悟を固めるのに時間を要したことが、更に悲劇と損害を大きくした。

こういうことをリアルで経験した人は少なくなってきている。だからこそ、伝えなければならない。微力でも精一杯できる方法で。

お読み頂き、ありがとうございました。

読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。