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天動説に起因して、人間の底抜けの傲慢さに気付く

今日は朝から庭木の手入れをしました。日が差し込んでくると、とても作業できなくなってしまいましたが、8割程度は何とか終えることができました。

さて、……

あなたも天動説についてはご存じだろう。地球は丸い天体だが、それは宇宙の中心に静止している。そして、太陽・月・惑星など全ての天体の方が地球の周りを回るとする考え方である。

もちろんこの説について、現在では否定されている。しかし、これが否定されたのはそれほど昔のことではない。

地動説を唱えたコペルニクスの没年は、1543年。日本に鉄砲が伝来した年である。つまり、16世紀になるまで天動説は支配的であった。

しかも、カトリックが公式に地動説を支持したのは21世紀に入ってからのこと。1992年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がガリレオに対して公式謝罪し、2008年にベネディクト16世が公式に地動説を認めたのである。

宗教裁判で異端とされたガリレオが公的に復権するまでに、およそ400年の時間を要することになったのである。

なぜこのようなことになったのだろうか。

人間は神と近い存在であるとの誤解が、大きな要因になったことは間違いない。神が一週間かけて地球を創造した。そこに多くの生物も誕生させたが、最後に誕生させたのが人間。

これを前提にすれば、世の中を見る目も地球中心になるし、人間は神に愛される存在だと思うのは当然。だから、地球という特別な星は宇宙の中心と考えられたのも、ある意味論理必然であると言える。

天動説から見れば、地動説は地球を宇宙の中のちっぽけな一天体に貶めるもの。天動説の神との近さに慣れていた人から見れば、地動説は神と人間の距離を引き離すもの。ひいては最後に人間を作った神への冒涜だとの意識を芽生えさせることになったようだ。

でも、正直なところそうかなあ、それはそれ、これはこれだったのではないかと思う。

宇宙全体を神が作り、超絶な能力を駆使して一週間で地球という天体を作ったとしても、何ら矛盾は生じない。強いて言えば、神から見た人間は広い広い宇宙の中のOne of themであった点が感情的に受け入れにくいだけ。

ぶっちゃけ、両思いであると思っていたが、単なる人間の片思いでしかなかった、というのに近いだろうか。

このように考えると、人間って自分が可愛いし特別な存在でなければ気が済まない、傲慢な存在なのだなあと改めて気付かされる。世の中でしょっちゅういざこざが起こるのも当然である。

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