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ネーミングして分かった気になるのは危険がいっぱい

世の中には、さまざまな事象が発生する。新型コロナウイルス感染症やその対策もその一つである。

前々からお読み頂いている方はお気づきかも知れないけれど、私は「新型コロナウイルス感染症」という言葉を、タイトル以外ではできるだけ略さないようにしている。社会に様々な悪影響が出ている点を捉えた「コロナ禍」は使うが。

その理由は、人間にはネーミングをすることで理解できたように感じてしまう癖があるからだ。理解できたつもりで安心し、更に油断してしまうことを危惧している。

「新型コロナ」くらいならよいとも思うが、「新コロ」には首を傾げるし、「コロちゃん」「コロニャン」に至っては論外だと思う。

ネーミングは、個別具体性や内容の正しい把握から人を遠ざけて、抽象的・概念的な理解に留めさせてしまう。そして略すネーミングは、その分言葉が軽くなる。

本来きちんと知ってしっかり対処すべきことを、分かったような気分にさせるのはよくないし、まして愛称を付けるがごときはもってのほかとなる。

特に愛称を付けると、怖さや害悪の大きさが伝わらなくなる。そのことで侮りを生むようなことがあってはならないと強く思う。

ネーミングでいかがなものかと思うのは、何も新型コロナウイルス感染症に限らない。いじめもそうである。

表に出ないいじめ被害は多く、被害者たちが受けた行為も深刻さもまちまちであるはずだが、ひとこと「いじめ」で語られてしまうのは、正しい理解から遠ざける原因だと思っている。

侮辱、名誉毀損、暴行、傷害、強要、恐喝等々、いずれも犯罪名である。いじめのなかにはこれらが含まれるケースもあるはずだが、いじめの一言で平板に塗りつぶされてしまう印象を持つ。これはやはりよくないことである。

なお、ネーミングのセンスが悪いと、その語感が醸し出すイメージで語られて本質から外れることにもなりかねない。これは害悪ですらある。

そういう危険があることを考えると、安易なネーミングに乗るべきではなく、極力正式名称を使うべきだと考えるのだが、いかがだろうか?

読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。