(風評)<(エビデンスの有無)だと考えるべき
今日もジワッと暑い1日でした。太陽のエネルギーの直撃はほとんどありませんでしたけど、ちょっと外に出て戻っただけで汗が染みる、そういう1日でした。
さて、……。
福島第一原発の処理水は、24日13時より海洋放出が開始された。
私は科学的な安全性について、数値レベルで判断して十分に担保されていると認識している。中国が日本からの海産物を禁輸にしたが、その理由はこれまでのところ科学的な数値に基づくものはない。
もし目の前に福島産の海の幸を使った刺身を出されたら、私はためらうことなく食べる。多分美味しいだろうし。
ただ、風評というのは、科学に基づかないからこそ風評であるということをわきまえる必要がある。風評レベルのものが科学的に証明されたなら、その瞬間にそれは事実と認定される。事実であれば、当然尊重されねばならない。
だから、今の風評を正しいと思いそれを世に広めたい人は、それを裏付ける科学的な根拠を探してエビデンスとする必要があるはず。でも、そういう人ってまず出てこない。それっぽいことをほのめかすだけで、然るべき研究機関のデータを示さない。
いや、正確には示せないのだろう。あるなら当然持ち出すはずだから。
悲しいかな、世の中には自分の思いを事実よりも上位に持ってきて、一個人の思いを基に世の中に対して自分に同調してくれる人を求めてしまう、つまり科学的な根拠のない風説を垂れ流す人がいる。
そして、それを信じてしまう人も残念ながら出てきてしまう。かくて風評の根絶は難しい。
風評については、新型コロナウイルスについても同じことがあった。「コロナはただの風邪」といった風説が流れたけど、それも科学的には根拠がなかった。
単にマスクをしたくないという自分の思いを支えてくれる主張に乗っかろうとしただけ。
コロナの風評もつい最近のことなのに、我々は学べていないなあとつくづく感じる。
なお、風評についてはマスコミの見識も問われるはず。賛否両論を載せることで公平性を保とうとするのは分からなくもないけれど、科学的な根拠の有無を無視してはなるまい。社会の木鐸を自負するなら、尚更両論併記に留めるべきではなく根拠となるエビデンスの有無も記載すべきところ。
本来科学的な事実にイデオロギーは無関係なはず。根拠を示せない無責任な風評に無批判というのはいただけない。
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