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こんなものを美味いと思ってありがたがっているとは……

天気が悪くなりそうです。帰り道に降られないように早く帰る、或いは降られても大丈夫なように傘を買うなどしてご用心して下さい。

さて、……

私の学生時代はグルメ漫画「美味しんぼ」の全盛期であったと思っている。その中で主人公である山岡士郎の父であり最大のライバルとして描かれる海原雄山の台詞は、かなりの影響力があった。

タイトルは、まさにその一つである。人工調味料、養殖、ハウス栽培、農薬使用等を徹底的に否定する彼のスタンスは、分からなくはない。当時はその指摘と舌鋒の鋭さにやられていた感がある。

今ならば「若者を虜にするのは、鼻っ柱を折り、もっともらしいことを語気を強めればよいのだ」という感想を抱く。そして、その主張も個人の好み以上ではないことにも気付いた。

例えば、人工調味料は大量の旨味成分であるが、多用することで味覚を鈍くし、味を平板にするというもの。これは間違いではないだろう。何を食べても人工調味料の味がするというのであれば、確かに食べる楽しみは減じる。

でも、全く旨味が足りないものと比較した場合、どちらが美味しいのかを考えたら、私は人工調味料入りの方を選ぶ。昆布と鰹節で出汁を取って作った味噌汁を考えて見れば分かる。

単に味噌だけを入れた味噌汁は、しょっぱいだけで美味くない。例え平板であろうと人工調味料を加えた方が美味いと思うのだが、どうだろうか。

養殖やハウス栽培についても、自然じゃないことを以て批判するのはたやすいものの、自然に任せると獲れる時期、収穫期間が非常に狭くなる。そしてそれ以外のシーズンには一切食べられない。

生産者も、一時に大量に出荷すれば値崩れする一方、それ以外の時期の収入を何で確保するのかの問題が生じる。海原雄山の言葉には、そういうことは一切考慮されていない。

無農薬に至っては論外だと思う。去年、キュウリを無農薬で栽培していたら、途中でウリミバエがたかって実がならなくなった。ブロッコリーも春先にはモンシロチョウのお子様が現れ、葉を食べ尽くして自らも昇天した。

ある程度の規模で作物を作るのであれば、農薬使用は避けて通れない。個人の道楽であれば止めはしない。ただ「こんなもの」でも多くの人が安定して食べられるようにする努力が隠れていることを認めねばなるまい。

事ほどさように、大人になれば若い頃に見えていなかったことに気付くものである。そして、偏狭な自分の主義主張を吹き込むよりも、多様な見方を伝える方が大事であることを知る。

お読み頂き、ありがとうございました。

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