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それでも継続の効果は大きいと感じる

今日は、強い日差しがダイレクトに気温に反映された一日でした。しかも、湿度が高くてモワモワとした空気がかなり鬱陶しくまとわりつく。オフィスでは意識しなかったものの、帰宅時にはそれを全身で受け止めることになりましたね。

さて、……。

以前以下の記事を書いた。

この記事でチラッと触れた健康診断の結果が返ってきた。

結論から言えば、数値的には改善している。空腹時血糖は正常高値上限であったのが正常値に収まっているし、HbA1cも糖尿病予備軍レベルから正常値に下がっていた。

これはやはり毎週chocoZAPで行ってきた運動が功を奏したものだと認識。そうであれば素直に自分で自分を褒めてよいのではないかと思っている。

私の母方は、糖尿病の遺伝的要因を持っていることが親戚の病歴から伺える。そのため、私はその系統の病気には敏感で普段から気を付けてきている。

遺伝子レベルに対して、人間が直接働きかけることはできない。だからこそ発症をできるだけ遅らせようと考え、自分でできることとしてchocoZAPで地道に運動してきた。

それが数値になって返ってきたのは嬉しいの一言。

ただ、体重自体は以前書いた記事の通り、微減に留まっている。そのため、健診を受けた時点では、その結果にそれほど期待していなかったというのが正直なところ。

でも、整体の先生が言ったように体組成において体重には現れない変化が起こっていたことが推測される。

ただ、本件ではこのような証しが出たけれど、人生においてそうならなかったことはかなりある。せっかくの発意に基づいて何かを始めても、何も変化がない期間が続くと段々辛くなるのは人としてやむを得ないところ。

春風を待ちながら風雪に耐えきれず折れる枝は少なくない。花を咲かせ実を成らすことができなかったのは残念だけど、それも最後は運に負うところが大きい。

よくない結果がうっすらと頭をよぎる。それでもはじめの一歩を踏み出さなければそもそも「こと」が始まらない。その時点で実際に動いた人の割合は少なくなる。更に始めたことを継続しなければ「こと」が成就しないが、それができる人は更に減る。

発意を持ちはじめの一歩を踏み出し、その後も継続して事に当たり続ける。そこまでいって結果を運に任せられる状態に至るのだけど、その過程でも死屍累々となるのが実情。

たまたま体調がよい方に転んだけれど、それもいろいろな要因の組み合わせの結果であると思っているので、嬉しく思いつつもそれは手放しではない。

なお、継続が大切なのはnoteも同じ。私も最初の1年間はフォロワー数が二桁の期間が長かったし、1日のアクセス数が何とか10台ということも結構あった。今の状況はとてもありがたいけれど、ドン底での努力はキツイ。

文才、画才はもちろん才能なのだけど、結果が出るまで頑張れるのも実は才能である。だから、それを誰でもできることだとするのは誤りであり、そういう誤りは正されていくべきだと感じている。

もしかしたら、継続こそが結実への最大の要因かも知れないのだから。

お読み頂き、ありがとうございました。

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