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「死んでくださーい」はアウトでしょう

今日は暑いというよりは蒸して不快な一日でした。帰宅する電車の窓から覗く空は曇っていて、また降るのかとビクビクしながら先を急ぐことに……何とか帰着しました。

さて、……。

タレントのフワちゃんがSNSで同じくタレントのやす子に対してタイトル記載の暴言をポスト、すぐさま削除したがネット上で拡散、炎上する騒ぎとなった。このことはご存知の方も多いだろう。

本件について、まずは自分のフォロワーが100万人を超えていること、そしてフォロワーの全てが自分のシンパばかりではないことに対してあまりにも無自覚だったと思う。

次に、使った言葉がよろしくない。子どものような幼稚な単語なのだけど、それだけにあまりにも「どストレート」であるが故の強さを持っている。肺腑を直接抉るかのようなインパクトがあった。

そして、自らの行為に対する弁明の中で「後悔」という言葉を使った。これも批判の対象となった。

本来なら「反省」を用いるべきところ。あなたは後悔という言葉についてどう感じるだろうか。

後悔は自身の選択により招いた結果を見てこうなるんだったらやらねばよかったという気持ちを表すと認識。そうだとすると、選択した行為の評価は結果次第となる。

周りから批判を受けるようになったことによって後悔するかしないかが決まるという考え方からは、暴言も批判を受けなければOKと考えている内面がさらけ出されてしまった。

端的に、暴言のポスト内容自体に対しては自身が悪いと評価していない。この点でお詫びになっていないのである。こういう時に、彼女のために親身になってアドバイスできる人がいなかったのであろうか。

昨今は、炎上した本人のみならずその親しい友人というのも友人としての対応を問われるようになっている。華やかな交友関係であっても、軽い気持ちでさらすべきではないなと思っている。

更に、このような暴言をサラッとSNS上にポストしてしまうことを以て発達障害を疑うような意見も散見される。これについては、医師でもない人間が半端な知識で言うべきことではないと考える。

障害とは、何かができない、或いはできるけど人より多大な労力を要することがあった時に、それで生活に支障が出る、即ち障害と言えるレベルなのかを見定めて判断されるべきものだと考える。発達障害もその一類型に過ぎない。

個別のできない事例に着目するのは一般人でもできる。もしその人がそれで困っているなら、医者に診てもらうよう勧めるというのが私なりのスタンス。

素人が大上段から障害だと言い切ってしまうのは雑だし、単なるレッテル貼りとなってしまう危険性は指摘しておきたい。

お読み頂き、ありがとうございました。

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