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最近のミステリー小説に思うこと

今日も昼間は暑かったです。そのまま外で日に当たって10分立っていたら、シースルーのオヤジができあがっていたことでしょう。そんなの見たくないですよね。

さて、……。

最近は時間があると、本を読むようにしている。ミステリーが好きで、知念実希人さん、中山七里さんの作品をよく読むのだけど、昔読んだシャーロックホームズシリーズとは明らかに展開が異なる。

何が違うのだろうと考えると、犯人に迫るスピードと展開の違いに思い至った。そして、それに私自身がどうも慣れないことにも。

シャーロックホームズシリーズとの比較が妥当なのかという意見もあるだろう。でも、自分が読んだものでしか語れないのでそこはご容赦願いたい。

シャーロックホームズシリーズの場合、大体小説の真ん中あたりから犯人の手がかりがちらほらと見つかってきて、それらが積み重なっていく中で犯人が明らかになる。その流れはゆっくりで、だから犯人が明らかになった頃には全く違和感なく納得できる。

これに対して、上に記載したお二人の小説を読むと、かなり終盤になっていきなり犯人が浮かび上がる。推理者が「犯人はあなたですね」と断言することもある。

そして、その後次々と犯人だとする根拠を上げていく。伏線として散りばめられていた何気ない事実の記述も、そこで回収される。

私の表現が適切かの疑問はあるが、敢えて言えば新聞記事のような構成だと感じている。見出しで犯人を端的に記載し、リードで概略を書き、本文で一個一個のトリックを暴いて謎を解く。尾括型の展開と言えるだろう。

このクライマックスで次々と謎解きを繰り出す波状攻撃。これは作中の犯人が受けているものではあるけれど、読者である私たちにも迫ってくる。

ただ、その勢いがあまりにも早く激しく隙がないため、かえって本当にそうなのか? という疑問が湧いてしまう。

必要条件は満たすかも知れないけど、十分なのか? という疑問である。平たく言えば「この人が犯人かも知れないのは分かった。でも他の人が犯人じゃないと言い切れるのか」ということ。

このあたりについては、読者によって受け止めに差が出るところだろう。私的には、今の「試行錯誤よりも早く答えを知りたい」風潮を満たす点で、読者の欲求に応えている、だから売れているという見方をしている。

逆に、展開の速さに私の脳がついていけなくなっているだけかも知れないという不安もある。その事実に直面する恐怖に身震いしたくないが故に、こんな長い言い訳を書いている可能性もある。その判断は、あなたにお任せしたい。

お読み頂き、ありがとうございました。

読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。