見出し画像

無関心で居続けることの危うさを考える

今月も残り5日。そういう中にもインフルエンザや新型コロナウイルスの予防接種の予定が入ったりしています。年賀状の準備もありますね。気忙しくなる時期、ご自愛下さい。

さて、……。

イスラエルのガザ地区に世界の注目が集まっている。その成り行き次第では再び大きな戦争、もっと言えば世界大戦へと発展しかねないからだ。

これが勃発したために、ロシア・ウクライナ間の戦闘についての報道は減っている。とは言え、別に戦闘が収まったわけではない。

ただ、ニュース番組はより人が注目するものを優先しがち。ロシア・ウクライナ間の戦闘がこう着状態で、新しさに欠けるのと見る側の移り気のため、今はガザ地区が取り上げられている。でも、これもいつまで続くかは分からない。

どちらも人の命が懸かっている状況であることに差はない。でも、一面でこのような情に欠ける判断により報道する対象を選ぶのがマスコミの性(さが)である。

情報の受け手である私たちも、新規にかつ多量に複雑な情報を送られるとそれらを処理しきれない。このことで脳が疲れると「まあ、いいか」と処理を諦め無関心に陥りかねない。

訴えている人はまさに命が懸かっていると声を大にして伝えるのだけど、受け手側の問題で、重い内容の情報が聞き流されてしまうことは残念ながらある。それは一面でとても怖いことではなかろうか。

どちらも遠い異国で起こっていることである。でも、そこはよくよく考えて振る舞わねばなるまい。人間としてどうよ、という道徳はもちろんあるのだけど、日本の立ち位置を考えれば回り回って自分たちの首を絞める結果を招くという損得の面も無視してはならない。

定期的になりつつある北朝鮮のミサイル発射、尖閣諸島付近を航行する中国の艦船等、日本の周りもきな臭くなっている。言うまでもなく、北方領土も拉致問題も未だ解決されていない。

それらに日本が声を上げた時、世界の人から同様に無関心に聞き流されたらどうだろう。それに耐えられるだろうか。そこに思い至るなら、我々は世界の情勢に関心を持ち続けなければならないのは自明だと考える。

困っている人に手を差し伸べず、見てみないふりをする。助けるのは確かに面倒ごとに首を突っ込むことでもある。でも、日本人は見ないふりをするのが習い性になっていないか。

いじめもそう。格差もそう。リーマンショック後の就職氷河期もそう。その結果、世界標準で見ればかなり豊かな国なのに、いつまで経っても幸福度が低いままである。

右顧左眄してただ黙っているのは大人の態度ではない。既に二つの戦闘(状態)は、物価上昇等我が身に具体的に影響が降り掛かってきている。私達は、無関心でいることのリスクをそろそろ考えるべき時にきていると感じている。

お読み頂き、ありがとうございました。


読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。