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どれくらいの表現なら許されるのかが分からない世の中は生きにくい

朝、風が収まっていて、静かになりました。昼からは強い日差しが照りつけて夏らしさを演出、天気の回復も早い一日となりました。

さて、……。

昨今の風潮を見るに、何をどこまでなら言ってよいのか、どれくらいまでなら許されるのかがすごく曖昧になっている。そのため、きわどい表現はしない方が無難になっている。

人の外見をあげつらうのはよくないとされる。実際、道徳に照らせばその通りである。でも、現実は人のルックスに対する表現が満ちあふれている。

「美人娘がめちゃかわいい」「イケメンに囲まれて」「50代、ウソ〜? ネット騒然」と言った表現があちこちで氾濫している。これ、なぜルッキズムであるとして批判されないのだろうか。

かといって、職場で誰かの容貌容姿について言及するのは危険度が高い。ぶっちゃけ御法度である。会社にもう少し長く勤めたいと思うなら、その手の発言は厳に慎まなければならない。

また、批判と誹謗中傷の境目も、きれいに分かれてはいない。客観的な事実に基づくものは批判、口から出任せの悪口雑言は誹謗中傷だと整理しようと思ったら、事実に基づいていても名誉毀損罪は成立する。

というのは、名誉毀損罪の構成要件は「事実を摘示し、公然と、人の社会的評価を低下させる」ことだからだ。事実を言っているから犯罪ではない、が成り立たない。真実性の証明をすればよいのだけど、この手間がかかると分かってまでものを言う意欲が湧くだろうか。

また、誹謗中傷で事実を摘示しなければ侮辱罪になることもある。しかし、これも言われた側が侮辱だと主張立証するのはかなりの労力がかかる。

それ以前に、日本社会においては、裁判に持ち込むこと自体に忌避感がある。何もそこまでやらなくても、といった風当たりが強いのだ。それがまた、何をどこまで言ってよいのかを曖昧にする。

ネットの人たちは、何か騒げるネタを探しているかのよう。一杯飲み屋での語らいも廃れて、どこかで発散したい気持ちは分からなくもないのだけど、ネットでの炎上や誹謗中傷合戦に参加するのはリスクが高過ぎる。

最近は潮目が変わって、地道に情報開示請求を行う人も増えてきた。ストレス発散で失うものが多いのでは割に合わない。

ただ「おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざ」なりと徒然草で吉田兼好も言っている。完全にリスクを下げることはできないけど、悪感情をたたきつける物言いを避ける、身体に関わる表現も避ける、ジェンダーに関わることはどうしても言わなければならないことかを考える、だけでもかなり有効な対処につながると思うがいかがだろうか。

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