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自らを題材に脚本を書いたらとご提案

今日も朝夕は冷え込みました。でも昼間はそれなりに気温が上がったこともあって、雪はかなり解けましたね。ヤレヤレです。

さて、……。

「セクシー田中さん」の原作者・芦原妃名子さんの自死の件、どうしても考えてしまう。なぜなのだろうかと。

そう考えるのは私だけではないようだ。自分だけがこだわっているわけでもなさそうなので、少しホッとする。

私的には、以下の4点が複合的に絡み合って納得いかなくなっている。
・作品を精魂傾けて作り育て上げた者に対するぞんざいな扱い
・問題の根底に力関係が存在している不公平
・力のある者がない者をねじ伏せている横暴さ
・作品を飯の種、世に自らの力を誇示するための踏み台として扱う品性

今の日本を覆う閉塞感。上に挙げた4つは、その要因となる悪しき日本の慣習に根付いていると考える。それは時代遅れも甚だしく、腐臭を放つ存在と化している。

この点については、大方の理解を得られるものと考える。ただ、事ここに至っては脚本家の側に対しても何らかの手立てを考える必要があると思う。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれである。もしかしたら一発逆転を図れるかも知れない提案をしてみたい。

それは、既にタイトルに記載しているように、今回の顛末を脚本にしたドラマを作成してはどうかとの提案である。

本件について、世間からの注目度は極めて高い。これを取り扱えば高視聴率が見込まれる。

しかも、自分しか知り得ない事実がたくさんある。だから、それを独占的に思う存分ドラマの中に盛り込むことができる。これができる唯一無二の機会であると考えられる。

そのドラマの中に自分が言いたいこと・伝えたいことを盛り込んで、演者の口から自身の正当性を高らかに語らせる。それが大向こうの理解を得てハマれば、世間の受け止めも変わる可能性がある。自身を擁護する人も現れるかも知れない。

ただ、もちろん世間の反発はあり得るだろう。何と言っても人命が失われる結果となったのだから。でも、それは覚悟すべきではないのか。それで黙ってしまうなら今のまま。座して死を待つよりは出でて活路を求めんだろう。

そもそも、そんな一般的な倫理が通じる世界にお住まいなのだろうか。原作者に対して「作品が有名になったのだからあなたにもメリットがあったはず。そうしてあげたのに何が不満なのか」とうそぶくお仲間がたくさんいる業界の一員であれば、世間の反発の声など軽々と聞き流せるはず。

起死回生を図るにはこれしかないと思う。残念ながらそれが奏効しなくても、ダルトン・トランボのように匿名で活動する手はある。

売れて大金を得ることに至上の価値を認めているならば、最後までその姿勢を貫く。それしかないのではなかろうか。

なお、私はそういう生き方を選ぶ気にはならないし、やれと言われたらごめん被る。修羅の道を極めてまで得たいものなど全くない。

お読み頂き、ありがとうございました。

読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。