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今の付き合いもかりそめのもの、大事な宝物もあの世には持っていけないもの

今朝も冷え込みが厳しく、11月中旬並みだったとか。暑いよりはマシだけど、急に冷え込むと身体がキツいと率直に思います。

さて、……

亡父の7回忌に向けて、少しずつ準備を始めている。たまに実家に行けば、もう要らないだろうものを少しずつ持ち帰って廃棄している。

私の住む自治体からすれば、よそのものはよそで廃棄して欲しいと思うのだろうけど、私の実家への帰省は土日となり、土日は実家の自治体ではゴミの排出日ではない。その日でもないのに置いていくわけにも行かないので、持って帰らざるを得なくなる。

亡父の蔵書については、もしかしたら価値があるのかもと期待するものもある。でも、実際に売ってみたらそうでもなかった経験もあり、強くは期待しなくなっている。それはそれでやむを得まい。

7回忌を営むにあたって、実家を会場に使うのはやめることにした。使えはするのだけど、カビ臭はどうにもならない。普段締め切っている以上、たまに滞在する数日の換気ではどうにもならない。

実家に届く郵便物は、転送手続を取っている。でも、自治体以外からの郵便物は皆無となって久しい。古い付き合いの人は完全に途絶え、年賀状も一切届かなくなっている。

亡父が亡くなった時に、退職して25年以上が経っていたこともあるのだけど、会社関係者の参列は一切なかった。社友会には連絡し供花は頂いたことから、社友会の会報にも訃報として掲載されたとは思うのだけど、リアクションも一切無し。

もし自分が退職後すぐにこの世を去ると思っていないなら、自分を知る人間がどんどん先の旅路を歩んでいなくなることに思い至るべきだと改めて感じた。もっとも、彼らが参列してくれたとしても、遺族の手間が増えるだけであるというのも偽らざる事実である。

退職して十年も経てば、今の会社での付き合いはほぼ何も意味しなくなると考えた方が良いと強く思っている。

そして、実家に残された一見価値がありそうなものも大抵は大した価値がないことを知った。だからこそ自分が大事だと思っているものもあの世には持っていけない以上、生きているうちに処分すべきだろうとの思いを新たにしている。

最後は、スマホとクラウドに財産とその処理方法を記載したエクセル表を保存しておけば、後は妻や子が何とかしてくれるのではないかと淡い期待を持っている。

パソコンのデータを消去してくれるアプリと言うのもあるようだけど、それを使ってしまうと財産として何が残っているのかも分からなくなってしまう。このあたりについては、自分が死を切実に捉えるようになる前に何とか法整備がなされないかなあとの思いがある。

亡父の急逝でかなり自分が苦労したからこそ、同じ思いを妻子にしてもらいたくはない。心からそう願う。

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