見出し画像

誰かor何かに寄りかかっていることを考えるべき

今日は、午後から雨が降ってきました。その間隙を突いて帰宅しましたが、こんなところで運を使い果たしたくはないと思うことでした。

さて、……。

今回は標題について、普段から感じていることを3つほど書いてみる。


1️⃣電気について

電気自動車(EV)は環境に良いと思われている。「排気ガスを出さない」「CO2フリーだから地球温暖化の抑止に貢献できる」等の主張を聞くと「そうかな」と思ってしまう。

だけど、EVの充電に使う電気が何から生まれているのかを考えた上で同じことを言えるだろうか? 太陽光、風力、水力ばかりではないだろう。多くの原子力がまだ再稼働していない現状では、火力発電所も電力供給の一翼を担っている。

だから、例えば自分の家の屋根に太陽光パネルを取り付けて、そこで生み出された電気だけを用いてEVに充電しているのでなければ、CO2フリーだとは主張しにくい。喋っていて舌を噛みそうになる。

自分が運転する車本体からはCO2を出していないとは言えても、そのエネルギー供給源ではCO2を出していると言わざるを得ないのではないか。そこで口をつぐむのは電力会社に寄りかかっていると思うのだけど、違うだろうか。

2️⃣歩きスマホについて

相変わらず歩きスマホをする人が多い。スマホを見ていないと死ぬのだろうか。その前の人が先に進んでいるのに気付かずにゆっくり歩かれると、時間ギリギリの時には正直イラっとする。

また、前を見て歩いていないので、対向してくる人にぶつかりそうになることも多い。更に、前を見ていればもう少し隅を歩けるのに、自ら視界を狭めたために壁などから少し離れて歩くことになる。結果として無駄なスペースを取ってしまう。

そもそも、自分の身の安全は自分で守るべきである。それなのに周囲の人間の神経を逆撫でしつつその人たちに自分の安全を委ねてしまうのってどうよ? と思ってしまう。これも第三者に寄りかかった生き方ではなかろうか。

3️⃣ネットで情報を募るテレビマンについて

今は、誰もがSNSにより情報発信できる時代。その中には、災害や事故の決定的なシーンを収めた動画であったり、世間であまり知られていない珍しいものを紹介した写真であったり、日々さまざまなものが登場する。

それを目ざとく見つけたテレビ局・あるいは制作会社が投稿者に「詳しくお話を聞きたいのでDMしても良いでしょうか」と尋ねている場面を見ることがある。これ、率直に見苦しい。

投稿者の側が売り込んだのならともかく、マスメディアに携わる人間が安直に情報を手に入れようと投稿者に呼びかけるのは、矜持を失った振る舞いだと感じている。

これも、自ら足で情報を掴む努力を放棄し、投稿者に寄りかかってその上がりだけ掠め取る情けない振る舞いだと思うのだけど、このような受け止めはもう古いのだろうか。

以上、3つほど最近「寄りかかっているなあ」と思うことを書いてみた。

お読み頂き、ありがとうございました。

読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。