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初恋という単語のインパクトの強さ

今日は昼以降日も差して、少し気温が上がったように感じました。このままそうなると良いのですが、また寒の戻りがあると聞いて意気消沈しています。

さて、……

いくつかのnoteを見させて頂いた中で、標題について触れた記事を見かけた。

「初恋」……見ただけで面はゆくなる単語だなと思う。だから、つい「標題」という言いぶりになってしまう。

それだけまだ自分が世慣れていない、純粋さを保っているからに違いないw

一般論だと思うけど、男性はこれまで恋した人のことを覚えている一方、女性は気持ちに区切りを付けると何とも思わなくなると聞く。男の方が意外と引きずるもののようだ。

昔つき合っていた異性のことを語りたがるのは、確かに女性よりも男性の方が多いように感じる。更に傾向として、男性は個体名を上げたがるが、女性は匿名で語る傾向があるように思う。

例を挙げるなら、男性は「昔つき合った〇〇子だけどさあ」と言いがちなのだけど、女性は「昔つき合った彼はこんな人だった」という話し方をする。

男性は今も可能性がゼロでないと妄想して個別具体性を念頭に発言、女性はその気がないので客観的な性質のみを念頭に発言。こんな感じではないかと推測している。

なお、昔つき合ったかどうかはともかく、異性を探す際に、女性を探すのは男性に比べて難易度が上がる。旧姓を表示してくれていなければ、まず難しいだろう。この点、男性の方が探しやすいのは確か。

中には「知り合いの知り合い」を、フォロー・フォロワー関係から探す剛の者もいると聞く。でも、そこまでやる人は少ないと思う。

砂山の砂に腹這ひ初恋のいたみを遠くおもひ出づる日(石川啄木)

初恋についての歌は、これが白眉だと思っている。初恋が実ってそのまま伴侶となり一生を添い遂げる例は、希有と言ってよいだろう。つまり、初恋は実ることがまずないもので、何らかの「いたみ」がその思い出に付随する。

初恋時の高揚と諦めの間で大きく揺れ動く胸が苦しい気持ちと、終わりの時のいたみを重ね合わせて思い出す今の自分。それが砂山に腹這うというやや乾いた情景との対比を生んでいる。

この対比によって、過去と失ったものへの愛着がより強く印象づけられるように感じる。

誰もが通り過ぎた道筋だけど、やはりそれを振り返るのは気恥ずかしい。おもちゃ箱の奥に、そっとしまっておくべきものかと思っている。

お読み頂き、ありがとうございました。


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