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「旧優生保護法は憲法違反」だけで留まってはならない

今日は、湿度も気温も高い一日でした。雨に降られなかったのは救いでしたが、蒸し暑さMaxにかなり体力が消耗しました。

さて、……。

今日は、標題に記載した通り「旧優生保護法は憲法違反」であるとして国に損賠賠償が命じられる判決が出た日となった。

これは最高裁が大法廷で下した判決。司法の最終判断であるとともに、今後類似の件が裁判沙汰となった場合は、この最高裁判決に基づいて判決がなされることとなる。下級審は最高裁の判例に従うことになるからだ。

本件に関わりyahoo!ニュースで複数のメディアの記事が取り上げられていた。ただ、それらの記事に対するコメントでは「Yes, but……」 が意外に多く見られた。

要するに「判決は正しい。でも……」ということ。

人は理念だけで生活を営むことはできない。生活を営めなければ育児もできない。現実に障害者に子供が生まれたら、あなたはどう対応すべきだと考えるのか、どうするのが適切だと思うか? という問いである。

健常者同士の夫婦であっても、子供を産み育てることは決して楽なことではない。昨今、とみに合計特殊出生率が下がっていることは、約1ヶ月前に厚生労働省が公表した2023年の「人口動態統計」で明らかな通り。

夫婦は当然2人である。夫婦1組から子どもが1.2人しか産まれないのである。かなりの少子化が進んでいる状況と言える。

この状況の中で、生活の自立が困難なことが多い障害者の出産や育児に対し諸手を挙げて賛成しにくい、というのが「Yes, but……」の根底にあると思う。

実は本件に対しては、現在の国も違憲性を認めていた。ただ、法律は国民の代表である国会議員が議論して定めたもの。即ち優生保護法は「民意の反映」を経てできたという民主主義に正統性を持つ。そして法に基づいて国が動くのは当然で、法律が母体保護法改正までは如何とも成しがたかった点は指摘したい。

むしろ、国がこの裁判で防御方法として用いようとした「不法行為責任を問える期間(=除斥期間、20年間)を過ぎているとの主張に対して、それは権利の濫用であるとして退けた点が大きいと私は受け止めた。

救済すべきという価値観が大法廷の場で共有されたことを、高く評価する。

「Yes, but……」は「理屈はそうなんだけど現実的な落とし所も考えないと役に立たない」と考える日本人の美点だと思う。この出産から育児にわたる労力と資力は健常者でも二の足を踏むレベルに達しているのが現実。

ここは、国がどのような場合であっても絶対に子どもを守る、育児に必要な措置を講ずるという姿勢を示し、仕組みを構築することが不可欠だと考える。ここで、障害の有無で敢えてそれを区別する必要はない。

赤ちゃんポストに対しても批判があるのは承知だけど、出産直後に子殺しするよりははるかにマシだと思っている。本当に少子化を解決したいのなら、できることは何でもやる姿勢こそが求められている。

ゴチャゴチャ言う人は出てくるだろうけれど、そういう人の理解を得るまで何もしないわけにはいかない。心からそう思う。

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