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能登半島地震のボランティア派遣が始まったことについて思うこと

今日は久々に庭に水をまきました。東京はしばらく雨が降っておらず、葉がしおれ始めた庭木も出てきています。天候はどうにもなりませんね。

さて、……。

タイトル通り、今日から石川県が能登半島地震に関わるボランティアの派遣を始めたとのこと。

本件被災に関わり、これまでは現地の受け入れ体制が整っていないことを理由にボランティア活動が行われてこなかった。それができるようになった地域が出てきたことは一歩前進であり、喜ばしい。

奥歯にものが挟まったような書き方になっているのは、例えば被害が大きかった珠洲や輪島では今でも受け入れができていないから。まだクリアできていない課題があるとのこと。

今回派遣されるボランティアも、現地で宿泊はせずバスで金沢市内から往復することになっている。だから、キチンと登録した上で統率を保つことが求められているのは言うまでもない。受入れ情報や登録等については以下のサイトを参照されたい。

元々、能登方面へ向かう道路は本数も多くない。しかもところどころ被災している。不通に至らなくても交互通行や一部迂回になっている箇所もあるだろう。そこに土地勘のない人間が行けばどうなるか、くらいの想像力は働かせるべき。

道路で渋滞が発生すれば、本来送ろうとしていた支援物資の到着は遅れる。更に、救急搬送のための車の運行の妨げにもつながる。

ボランティアの受け入れについて慎重な態度が取られてきたのはそういった背景があるから。善意は結果まで善に繋がらなければ、独善でしかない。この点はしっかり自戒する必要がある。

これまで自衛隊が行方不明者の捜索や道路の通行確保のための作業等に当たってきた。彼らは自前で食事の手配ができるし、自前で寝る場所も確保できる。現地に負荷をかけずに活動できる点が、ボランティアとは違うところ。

無計画にボランティアの立ち入りを許し自由に行動させると、現地で乏しい水や食料を被災者と奪い合うことにつながりかねない。ネット上で「ボランティアの受入れを早く!」と声高に叫んでいる人も見掛けたが、こういうロジ周りについての意識が低いように感じる。

日本が太平洋戦争で負けた理由として、まさにロジ周りの軽視も大きい。戦死者のうち餓死や病死の方が多いという報告もある。歴史に学ぶべきは為政者だけではなく我々もである。ロジを確保することは第一に行うべきこと。

「行かねば始まらない」との気持ちは分かるのだけど、行って立ち往生するくらいであれば行くべきではない。行かない勇気も必要だと思う。

尾籠な話で申し訳ないけれど、トイレの問題もある。一人で行ってもトイレが使えなければどうするのか。その辺で……はご勘弁願いたい。

そもそも地震の被害は個人の手に余る大きさのもの。この大きなものに対するには、相応の組織的な取り組みが必須となる。統率の取れた組織的な対応により、初めて被災者のお役に立てるものになる。このことを忘れてはなるまい。

自然は人間の意のままにならないのが当たり前。それくらいの余裕を心に持てる人でないとボランティア活動の適性はないと考えるが、いかがだろうか。

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