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大御所作家のファンは、新進気鋭の作家の作品に対してどう対処するかを考えてみた

涼しかった今朝までと打って変わって、昼からはそこそこ暑くなりました。半袖の人も多く見られて、夏の訪れを感じます。

さて、……

有名な作家の文章を読むと「ああ、自分とは明らかに差がある。持って生まれたものってやっぱりあるんだな~」と改めて感じる。

「当たり前だろう」「比べること自体がおこがましい」というご意見・ご批判は甘受する。しかし、何がどう違うのかについて最初から考えないのは、読み手の楽しみを減らすものだと考える。

作家のファンの方は、その文体・語調・世界観・作品の構成・登場人物の像型等も含めてツボに入っているのだろう。だから「いつもの叙情的な描写」「ここで、主人公が〇〇と発言することに重みがある」「この展開は、前作の更に上を行くもの」といった評価をされる。

同じ価値観をベースにした作家とそのファンというのは、敢えて言語化しなくても伝わるものがあるのだろう。心理的な共感世界は、そこに入り込めた人には既知で更に深みを求める対象となる一方、新参者の疑問は置いてけぼりにされがちとなる。

敢えて例えるなら、老舗一流クラブに通い詰めた常連客と一見客のような感じであろうか。

その共感世界の居心地が自分に適しているがゆえに、新たな作家に食指を伸ばすことが結果として少なくなる。これはやむを得ないことだろう。

実際、初めて手に取った作家の本を読む場合、文体や語調に違和感を感じることが多い。不慣れなのだから致し方ないのだけど、その違和感が読書への没入を妨げる。そして、先の展開への不安が広がり始める。

本来、自分では想像できない奇想天外な展開は本望だったはず。しかし、違和感が強いとその展開がどうしてもウソっぽく感じられてしまうことがある。「この展開は無理がある」「何かご都合主義ではないか」と。

心機一転、大冒険をしたいと思って新たな文学の船旅に挑んでいたはずが、気が付いたら船酔いする羽目に陥っていたという感じであろうか。うまく波に乗れないと、結果としてそうなってしまう。

私は貧乏性なので😆最後まで読むには読む。でも、それで何とか持ち直した経験はない。途中で気持ちが離れると、最後までダメになってしまう。

だから、新しい本に手を出すことにはリスクもある。読書の場合、それなりに時間を費やすので、やはりダメだったとなるとそのダメージが大きい。

noteで小説を発表されている方も多い。申し訳ないけれど、読ませて頂く中でふと思ったことを書いてみた。

お読み頂き、ありがとうございました。

読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。