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過去の映像等のリバイバルは共感獲得のための1つの方法

今日は往路も復路も涼しかったですね。今度台風になる予定の熱帯低気圧が、涼しさを超えて育つのかが気になります。

さて、……

たまに過去の映像やアニメが用いられた番組、CMが流れることがある。分かりやすいのは「家庭教師のトライ」のCMで使用される「アルプスの少女ハイジ」のアニメーション。

実は、過去のドラマ映像ってある年代以前のものはほとんど残っていないらしい。記録媒体の値段が極めて高かったため、再利用せざるを得なかったようだ。つまり、古い作品を記録した媒体は新しい作品が上書きされたために残されていないケースが多いとのこと。

このあたりについては、以下の記事が参考になる。

むしろ、アニメーションの方がそれ向けにつくられたために残っている可能性が高いようだ。ハイジの映像は私が年齢一桁の頃のものだけど、残っていてリバイバルされている。

それにしても、このようなリバイバルが行われるのはなぜだろう。当時の古くさい(失礼)映像よりも、今の技術を盛り込んで新規に作った方が微細で美しい映像を作り上げられるのは疑いのないところ。

過去の俳優と映像で共演させる映像もある。過去の俳優を取りあげたところで、今の若者には刺さらないだろう。特に髪型には世代が如実に現れるため、どうしても「古さ」が現れ、違和感を感じられてしまう。

そう考えると、リバイバル映像のデメリットを踏まえてなおそれが用いられるのは、やはり今の若者ではなくかつての若者、つまりは親世代がターゲットなのだろう。親の郷愁を誘って親近感を抱かせ、契約や購入に繋がることを期待しているものと考える。

番組ではないけれど、少し前にはバブリーダンスが流行ったり、平野ノラさんのバブル時代のパロディが当たったり、ということもあった。

元々、懐かしのメロディは昭和の頃から既にあって一定の視聴率を稼げる番組であった。今のリバイバル映像も、その延長線上にあるというのは短絡的すぎるだろうか。

ただ、少なくとも人が常に新しいものばかりを求めてはいないことはわかる。古いもの、今からみれば野暮ったいものでも、過去の接触体験が呼び戻されると、深い共感を覚えるのである。最後は、共感させたもの勝ちである。

ただ「なめ猫」や「エリマキトカゲ」のように、今では動物虐待として受け止められるものもあり、その選定を誤ると炎上の元である点は申し添えたい。

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