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「敗軍の将は兵を語らず」についての臆測

今日の日差しは、まさに夏のもの。気温は30℃には至りませんでしたが、日に当たった肌が、その熱量に驚いていました。

さて、……

『しくじり先生 俺みたいになるな!!』というテレビ番組がある。この番組は、一時表舞台ですごく活躍したもののその後あまり出なくなった人間が、自分の人生においてつまずいた要因や理由を振り返る、といった内容のもの。

リアルの将ではないけれど、個人の人生において自分は正に将軍のように差配し、自らが兵となって行動する。だからこの番組は、敗軍の将が兵を語っているに近い。

うまくいかなかった、勝てなかった要因を本人が自らの口で語る。これは事実をバックにしているだけに説得力がある。番組制作スタッフは、良いところに目を付けたな、と思う。

もちろん登場するのは基本的に芸能人が多い。その内容も浮世離れしていて一般的ではない内容の場合が多い。この点は、観る側も割り引かねばならない。また、一エピソードであるのは確かだが、普遍性がないという批判もあるだろう。

それでも、この番組が意外と人気なのは、人間の下世話な「人の不幸は蜜の味」感情を満たす一方、「あの人は今」的な好奇心も充足してくれるという
一面があるのは確か。

ただ、それ以上に一度時代の流れに乗りながら上手くいかずに消えていった人間の口から往時のことを聞く機会が無かったことに対するそれまでの常識を打破した点が、視聴者にとって新鮮だったのではないかと思っている。

一芸能人の盛衰であれば、ぶっちゃけ大したことではない。しかし、歴史は基本的に勝者が形作るもの。敗者はモノも言えず消えてしまう。そして勝者に都合の良いように内容が変えられてしまう場合も少なくないのである。

何となく胃にもたれているような未消化の部分を知りたい、と言う思いから、しくじり先生は人気を博したし、定説となっている歴史認識に対する異説があれこれ発表されることにもなっている。

標題の一節「敗軍の将は兵を語らず」は、もしかしたら歴史は勝者の語るものが正として残るという歴史秩序について、暗に皮肉を込めた言葉なのかも知れない。

語る機会が少ないし、仮に機会を得て語っても勝者の都合に合わなければ記録に残らない。そうだとしたら、結構シビアな言葉だと思う。

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