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卑怯について、探求してみた

今日は仕事が立て込み、家に帰ってからもシャッターのリモコンの電池が切れて閉じない事態が生じ、公私ともにバタバタでした。

さて、……

12月11日(日)に放送されたNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。北条義時追討の院宣を受け、激震が走る鎌倉。御所で尼将軍となった政子が居並ぶ御家人を前に演説を行った。

政子は「(上皇に義時を差し出すような)そんな卑怯者は、この坂東にはひとりもいない!」と言い切る。神回と言っても良い内容だった。ただ、この頃は「ひきょう」の表記は卑怯ではなかったのではないかと思った。

実は「ひきょう」という言葉を調べると、元々「非興」がスタートで、そして「比興」になり、更に「卑怯」へと変遷していることが分かったのだ。

「非興」って何? と思うのは当然で、これは「興に非ず」ということ。即ち「興がない」を意味する。興という言葉自体は今も普通に使う。「それも一興」「興に乗る」など「面白い」を意味する。

だから、「興がない」は「面白みがない」ということで、面白みがない人を非興な人と呼んでいた。

ここで、あなたは面白みを感じない人を尊敬できるだろうか。嫌いにはならないまでも、尊敬は無理だろう。そこから非興には「人より劣る」という意味が加わった。

そして比興というのも「比較して面白くない」という意味で、非興と大差がない。ほぼ同じ意味である。

その後、現在でも普通に使われるようになった卑怯であるが、このようにネガティブに捉えられる対象者は、卑劣という言葉の影響(混用)もあって、「堂々としていない」という評価まで加えられることとなった。

このような変遷を経たものの、当初の「非興」は人格に厳しい非難を加えるものではなかったと思っている。チコちゃんの言う「つまんねえ奴」程度であったはず。

実際、戦国時代までは卑怯がそれほど悪いこととはされていなかった。何と言っても、武士も命掛けである。正々堂々と戦っても負けたらそれまでなので、勝つためには手段を選ばなかったし、卑怯なことなどいくらでもしたのが実態。

それが良くないとされたのは、平和になった江戸時代になってからのこと。幕府が太平の世の秩序を守るために、儒学が奨励されたのだ。つまり、忠孝の概念や武士道が広まったのは、それほど昔のことではない。

実は、逆に勝ってナンボという発想の歴史は古い。紀元前の中国において「宋襄の仁(そうじょうのじん)」という故事成語が生まれているくらいである。

中国の王朝は夏→殷→周と代わったが、春秋時代の宋は殷の遺民により作られた国である。先祖の祭祀をするためにお情けで国を持つことを許された負い目があった。

宋の襄公が楚と戦った時、渡河する楚軍が渡り終えて陣を敷かないうちに攻めようとの進言を受けた襄公は「敵が困っている時に苦しめてはいけない」と敵に情けをかけたため負けてしまい、それが故事となった。

お情けで国を持てた宋の国王としては、正々堂々とした戦いにこだわらなければならなかったのであるが、もちろん馬鹿にされることとなった。

卑怯なふるまいを批判する期間の方が短いはずなのだけど、今の我々の常識的感覚には合わない。時代劇を観るにあたっては、そのことを意識する必要があると思っている。

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