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「まだ若いのに」に潜む怖さを考えてみる
今日一日在宅勤務(テレワーク)をして気付いたことは、初期のネット接続は昔より簡単になっていること。一方で、普段使っているパソコンデスクで作業していると、ついつい普段のアクセス先を見たくなってしまうこと、が分かりました(気を付けたいと思います)。
さて、……
若者が自殺すると、ネット上に「まだ若いのに」「この先にたくさん良いことが待っていたかも知れないのに」等の意見があふれることが多いと感じる。実際、それはそうだろうなと思う。
しかし、このかなり希望的な願望に基づく言葉を、鵜呑みにして良いのだろうか。
まず、そもそも将来のことは誰も分からない。分かったふりをする占い師はいるが、彼らだって恐らくは分かってはいない。それは、占い能力のみで大金持ちになった占い師がどれくらいいるかを考えてみれば分かる。
「この先にたくさん良いことが待っていたかも」という願望を持ちたくなるのは人情。でも、残念ながら将来も更に苦難の道が続いていたかも知れない。
良いこともあるけれど、それ以上に良くないことが起こっているかも知れない。その可能性を無視してはいけないと思う。
客観的な確からしさを突き詰めれば、私が申し上げていることを否定はできないはず。でも、その点は軽くスルーされてしまう。善意から出た発言なのは分かるし、方便としてはアリだと思う。でも、納得性はあまり高くない。
若さとそれに付随する長い未来には、将来の成否未定の可能性に対する期待を抱かれやすい。若さに賭けるというのは、まさにこのこと。ただ、期待はあくまでもそれを抱く周囲の心の中にしか存在しない。
言い換えると、実在しているものではないのである。この点に留意する必要がある。
「まだ若いのに」という言葉には、若くない人については何も言っていないという恐ろしさがある。つまり、私のような定年間近なオジさんには何の役にも立っていない。
未来を儚んで自殺する若者は確かにいるが、それ以上に疲れ切ったオジさんが自らの命を絶つ例も無視できない程度にはある。そして、そういうオジさん達に対する方便的な言葉を聞いたことがない。
オジさんは、当たり前であるが若くない。これにより体力も気力も下がり傾向となる。このことを踏まえれば、病気リスクも高く、将来に良いことだけがあるとはとても言えない。実際、それ以外のことも多くあり得るのである。
「若くないのだからそれもやむなし」と思われているのであれば、とても辛い気持ちになる。だから「まだ若いのに」という年齢を基準とした慰め言葉を軽々に使って欲しくはないと思っている。
そもそも、老若男女すべからく将来に良いことがあるべきだろう。そして、そういう世の中を皆で目指して作り上げていくことが大切だということに思い至るならば、それに相応しい言葉を用いるべきと考える。
誰かを励まそうとして、結果的に他の誰かの気持ちをくじいてしまうような言動をしていないか、自戒すべきだろう。
お読み頂き、ありがとうございました。
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