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SNS投稿に見られる共依存にひとこと

今日も暑い1日でした。一度くらい「今日は珍しく涼しい1日でした」と言いたい気持ちはあるのですが……いつ言えるようになることやらと思っています。

さて、……。

Twitterと言ってしまうが、そう言うと「そんなものはない」「Xだろ!」とお叱りを受けてしまう。それはさておき、そこで流れるtweetに少し食傷していることがある。

それは、夫や育児に対する愚痴ツイが増えてきていないだろうか、ということ。以前にもあったとは思うけれど、その割合がかなり増えたように感じている。

そもそも、フォロー外の人のtweetがタイムラインに流れることも増えている。もしかしたら、「X」になって以降おすすめtweetのアルゴリズムが変更され、ツイートの内容も変わったのかも知れない。そうだとしたら、エライ迷惑である。

タイムライン上に増えた要因にそういうバックグラウンドがあったとしても、そもそもそういう愚痴って、何のために吐くのだろうという疑問はある。

「人の不幸は蜜の味」と昔から言われる。だから、明るくない話題だと分かっていてもその蜜の香りに魅かれてか、そのtweetに群がる人達がいて結構な数のメンションが集まる。

しかも、そういう愚痴をネット上に垂れ流す人は一人ではない。むしろ行列を成していると言っても良いかも知れない。

そういう人は、注目され同情されたい欲を抑えきれないのだろうか。「もの言わぬは腹膨るるわざなり」と徒然草にも書かれていることでもあり、そういう気持ちを持つことはしょうがないとも思う。

ただ、それを吐き出してスッキリ……するならまだ良い。でも、大抵の場合そういうアカウントの方は、年がら年中不満のネタを見つけては愚痴を吐き、それに同情が集まるという状態が続く。何か共依存のようで正直引く。

集まる側も心から同情しているのだろうか。蜜を舐めて自分より不幸な人がいることを確かめて得られる平穏を期待しているだけではないかと思ったりもする。

「自分も大変だけどもっと厳しい状況の人もいるんだ……頑張んなきゃ」と自分を慰め、ガス抜きしたいのだろうか。これって江戸時代の「上見て暮らすな下見て暮らせ」と同じ理屈だと指摘したくなる。

ただ、Xの中でいくら愚痴を言っても、根本的な問題解決にはならない。子供が思い通りに育たないのも、夫が自分の気持ちに寄り添ってくれないのも、本人とは別人格なのだからやむを得ないというのが大前提にあると思う。

この大前提から顔を背けている限り、ツイ主は楽しくない日々を送るのだろうな、とは思う。辛くても涙をボロボロと流すことになっても現実と向き合い、解決の糸口を探すところから本当の解決が始まるのではなかろうか。

お読み頂き、ありがとうございました。

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